この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第125回
斎藤智
麻美たちの作ったお鍋が、キャビンのテーブルの上でぐつぐつと煮上がった。
「出来上がったかな?」
お鍋のふたを取り、中を確認する。
望月さんからの差し入れの大きな鯛が赤く煮えていた。
今日の昼の鍋は、タイ鍋だ。
麻美が、皆のお皿に取り分けて、ビールで乾杯、お昼の食事が始まった。
人の熱気で、だいぶ暖まっていた狭いキャビンは、お鍋の熱で、さらに暖まって、キャビンの中はサウナの中のようだった。
ヨットレースが好きなスポーツ派の望月さんなどは、着ていたセーター、シャツなどを脱いで、Tシャツ一枚で、まるで夏の装いだった。
「そういえば、もうじきクリスマスだけど、ラッコさんはどうするの?」
「いえ、特に予定はないですけど…」
「ラッコさんは、女性クルーが多いから皆、クリスマスは、彼氏とのデートに忙しく、ヨットどころではないか」
望月さんに言われて、ラッコの女性クルーたちは苦笑していた。
「デートだったら良いんだけど、皆、彼氏いないんです」
ルリ子が答えた。
ほかの女性クルーたちも、口々にルリ子に頷いていた。
「なんだ。寂しいな」
望月さんに言われてしまっていた。
「私も、クリスマスは相手いなくて寂しいんだ。クリスマスは、皆でヨットに来て、ヨットでパーティをして過ごそうか?」
麻美が提案した。
「賛成!」
皆は、麻美の提案に賛成した。
「でも、麻美さんには、隆さんがいるじゃない」
「え、隆。隆と一緒にクリスマス過ごしても…ねぇ」
麻美は、隆のほうを見ながら答えた。
「だから、麻美さんは、クリスマスはヨットで過ごすのよ」
「あ、そうか!」
雪に言われて、洋子やルリ子たち皆は納得していた。
クリスマスの夜は、横浜マリーナに集まって、ヨットのキャビンの中で、クリスマスパーティをすることになった。
パーティが終わったら、キャビンの中で寝て、次の日の朝、キャビンの中にサンタさんのプレゼントが来ていないか確認してから解散することとなった。
「八景島にでも行くの?クリスマスの夜に行くと、八景島では、花火が打ちあがっていたと思うよ」
望月さんが聞いた。
「花火見るのは、良いと思うけど、寒さのなか、そこまで行くのは大変だもの」
麻美が答えた。
「それじゃ、横浜マリーナの敷地内の広い所で、皆で花火大会やろうか」
「うん!それが良いかも」
ルリ子が、望月さんの案に賛成して、横浜マリーナ花火大会を開催することになった。
夕方、帰り際に、隆たちが横浜マリーナのクラブハウスに立ち寄ると、望月さんをはじめ、ほかにも何艇かのオーナー、クルーの人たちが集まっていた。
皆、海は寒いものだから、ヨットを海に出すのは、あきらめて、クラブハウスの中で暖を取っているのだった。
「隆君。彼らも、花火大会に参加するってさ」
「俺らも、クリスマスは予定ないので、花火大会に参加させてください」
ラッコのメンバーだけで、小規模でやるつもりだった花火大会が、気づいたら、横浜マリーナの会員が多く参加することになって、花火大会の人数がかなり増えてしまっていた。
横浜マリーナショッピングスクエア
クリスマスの夜のショッピングスクエアは、人で大混雑していた。
時刻は、もう既に夜の9時を過ぎている。
いつもならば、この時間のショッピングスクエアは、専門店はとっくに閉めていて、人も少なく、辺りはひっそりとしている。
横浜マリーナのショッピングスクエアの主な利用者は、普段は近所に住む主婦とか家族連れが多かった。
それが、年に何回かだけ、人がたくさん集まり、混雑する日があった。
クリスマスの夜も、その年に何回かある人が集まる日だった。
横浜マリーナのショッピングスクエアの2階には、テラスが付いている。このテラス席からは、目の前の横浜マリーナに停めているヨットやボートが一望できる。
ヨットやボートだけではなく、その向こうに広がる横浜の港、海を見渡せることができた。
大桟橋にやって来たクイーンエリザベスの煙突や屋根が少しだけ見えることもあった。
クリスマスの夜は、海に浮かぶヨットやボートを眺めて、ロマンチックな気分になろうと若いカップルが多く集まっていた。
横浜のクリスマスの夜といえば、八景島やマリンタワーなどが有名だが、横浜マリーナは、知る人ぞ知る隠れた名所、スポット的になっていた。
いつもならば、閉店している横浜マリーナのショッピングスクエアに出店している専門店も、そんな集まった人たち目当てに、夜遅くまで営業していた。
ショッピングスクエアのテラス前は、レストラン街になっていた。
ちょっと特別の日にしか食べに行けないような高級なレストランなどが並んでいて、ファストフードやオープンカフェのお店もあった。
オープンカフェの前には、パラソルの付いたテーブル、チェアが並べられていて、マリーナを眺めながら食事ができた。
お店のテーブル、チェアを利用しなくても、ファストフード店で買ったジュースのカップや食事を手に持って、テラスに出れば、誰でも利用できるベンチが置いてあるので、そこで座って食事することもできた。
「ねえ、ヒロシ。私、幸せ」
「俺もだよ」
ヒロシは、ストローを刺したジュースのカップを飲みながら、隣りの彼女とテラスのフェンスに寄りかかって海を眺めながら答えた。
一昨年行った八景島のカフェも、マリーナや海が目の前にあって良かった。おまけに時間が来ると、きれいな花火が空に打ちあがって花火見物ができるのも良かった。
ここ、横浜マリーナは、花火こそ上がらないけど、同じように海が見えるオープンカフェ、ヨットやボートが停泊しているマリーナも目の前に見えて、ヒロシは好きなスポットのひとつだった。
「あ、ヒロシ!花火だよ」
横にいる彼女が、叫んだ。
八景島ではないから、花火なんか上がるわけないじゃん。
そう思いながら、ヒロシは、彼女の指さした方向を見た。
確かに花火が打ちあがっていた。
八景島の大きな花火に比べたら、規模は小さかったが、小さな打ち上げ花火が上がっていた。
横浜マリーナの前の海面には、ヨットやボートが係留されているが、その手前の敷地には、赤や青のカラフルな小さな牛小屋のような小屋が建っていた。
その小屋のひとつひとつにボートやヨットが入っていて、そのボート、ヨットが出航するときは、脇に置いてあるフォークリフトで小屋から出して、クレーンのところに移動して、そこから海に下ろすのだった。
ボートの入っている小屋の屋根には、穴は開いていないが、ヨットの入っている屋根には細長い穴が開いていた。
ヨットには、セイルを上げるためのマストが立っているので、マストがその穴から空に向かって突き出ていた。
ちょうど、そのマストが林立している小屋の向こうの敷地から花火は、打ちあがっていた。
花火の規模は、小さかったが、打ちあがる花火の灯りが、マストの銀色ステンレス部分に反射して、それが目の前の海面にさらに反射して、美しかった。
「ブラボー!」
いつの間にか、ヒロシたちの周りには、大勢の人たちが集まって来ていて、その花火見物をし始めていた。
観客の中の一人が、花火に向かって叫ぶと、周りの人たちも歓声を上げて、拍手をしていた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。