スピンで逆転

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第94回

斎藤智

マリオネットは、風上のブイを周った。

スタートは、一番最後にスタートしたマリオネットだったが、風上のブイを周ったのは、一番最後では、無かった。

まだ後ろに2艇いた。

ということは、風上のブイに着くまでの間に、2艇のヨットを追い抜いたことになる。

「さすが隆君。2艇をもう追い抜いたのか」

オーナーの中野さんは、舵をすっかり隆に任せきりで、一番船尾のオーナーズシートに腰かけながら満足そうにしていた。

「いや、もともとマリオネットってモーターセーラーといっても、セイリング性能はぜんぜん悪くないヨットなんですよ。だから、セイルトリムをしてやれば、ちゃんと走りますよ」

隆は、中野さんに答えた。

佳代に聞きながら、坂井さんのご主人のほうと松尾君は、ジブセイルのセイルトリムを、シート、ロープを引いたり、出したりしながら、こまめにやっていた。

「スピン、アップできるか!?」

隆のかけ声で、船首の佳代は、スピンセイルを上げた。

マストのトップまで上がったスピンセイルは、バルーン型のセイルを大きく膨らました。

「きれい…」

佳代の真横でスピンセイルを上げるのを手伝っていた坂井さんの奥さんの口から、思わずカラフルなスピンが上がった感想がもれていた。

「スピンポールを、もう少し上げたいのに届かない」

背の低い佳代が、マストの側で一生懸命背伸びしながら、スピンポールを持ち上げようとしながら言った。

側にいた坂井さんの奥さんが、一生懸命背伸びしている佳代の様子を、笑顔で見ながら、ひょいと手を伸ばしてスピンポールを持ち上げてくれた。

「ありがとう!」

佳代は、手伝ってくれた坂井さんの奥さんに笑顔で答えた。

「もう少し、風下のほうに向けて!」

船首の佳代は、後ろのコクピットで舵を取っている隆に向かって、叫んだ。

「了解」

隆は、佳代に言われたとおりに、マリオネットの方向を少し風下側に落とした。

マリオネットが方向を換えた、その前をスピンを上げながら走って行くレース参加艇のヨットがあった。

スピンセイルというのは、風を船の後ろから受けているときに使うセイルだ。

スピンを上げているヨットは、大概皆、ヨットの後ろから風を受けている。レースなどで後ろから追いかけているヨットは、うまく前方を走って行くヨットの直後につけられば、前方を走っているヨットの受けている風を妨害することができるのだ。

マリオネットは、前方を走っていたヨットのすぐ直後につけられたために、そのヨットが受けている風を妨害することができた。

おかげで、マリオネットとそのヨットとの間は、みるみる距離が縮んで、マリオネットは追いつくことができたのだった。

ごぼう抜き

マリオネットの走りは、好調だった。

船の後ろから受ける風、スピンセイルの走りになってからは、前方を走っている艇の後ろからセイルを覆いかぶせる形で、次々と追い抜いていた。

追い抜いた数も、既に10艇は超えている。

「俺は、ただステアリングを握っているだけで、前でスピンを動かしている佳代が走らせているんだぞ。その指示でスピンのトリムをしている君たちの力で追い抜いているんだから」

隆は、自分の目の前のコクピットで、スピンのシートをウインチで引いたり、出したりしている坂井さんや松尾さんに、冷静に分析していた。

「すごいな!」

実際に舵を握っている隆や船首でスピンをしている佳代、クルーの坂井さん、松尾さんよりも、船尾のオーナーズシートに腰かけているだけの中野さんが、次々と追い抜いて行くマリオネットの走りに一番興奮していた。

「よし!次は、あそこ走っているヨットを追い抜こう!」

船尾のオーナーズシートから隆に向かって、中野さんの指示が飛んでくる。

その指示に従って、さらに前を行くヨットを追い抜こうと頑張っていたのは、隆よりも船首の佳代だった。

「それじゃ、もう少し風下に落とさなきゃ!」

中野さんの指示が飛んでくる度に、その指示に合わせて佳代がスピンのトリムを微調整している。

隆は、それほどレースに熱中しているわけではないのだが、佳代のスピントリムに合わせて、舵を動かしているので、結果的に前方を行くヨットを追い抜いていくことになってしまっていた。

「届かない…」

佳代が、腕を高く上げながら言う度に、坂井さんの奥さんは、笑顔で佳代の手の届かない上のほうにあるスピンポールを上に上げたり、下げたりしている。

すっかり、佳代とのチームワーク、連携もできるようになっていた。

「おお!マリオネット早いじゃん」

一番で風下のブイを周って戻って来た暁の望月さんが、いつもは最後尾を堂々と走っているマリオネットが、次々と追い抜いているのを見て、マリオネットに向かって叫んだ。

「早いでしょう!」

船尾のオーナーズシートの中野さんは、嬉しくて自慢そうに、暁に返事していた。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。