この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第78回
斎藤智
昨日は、遅くまでヨットで飲んでいたので、隆は、まだ眠そうだった。
遅くまで飲んでいたからというよりも、朝起きた時間が、まだ5時というのもあったかもしれない。
波浮から直接、横浜を目指すよりは、岡田から横浜のルートのほうが距離が短くなるとはいえ、出来るだけ、早く出航したほうが、それだけ早く横浜マリーナに戻れ、家に帰れれば、明日の仕事に備えて、ゆっくりできる。
「また、朝ごはんは、出航してからにしようか?」
麻美は、隆の頭の寝ぐせをブラシで直してあげながら聞いた。
隆は、麻美の質問に黙って頷いていた。
「出航の準備できたから、いつでも出発できるよ」
デッキから船内に戻って来た洋子が、隆に報告した。
洋子は、皆よりも少し早めに目が覚めてしまったので、先に起きて、セイルの準備など、いつでも出航できるように準備していたのだった。
「それじゃ、出航しようか」
隆は、自分の髪をとかしてくれていた麻美のブラシの手を止めさせて、洋子とデッキに出た。
「麻美ちゃんが、隆さんの髪をとかしてあげていたの?」
「ヒューヒューだからよね」
麻美より先に、ルリ子が、指で口笛を吹くマネをしながら、雪の質問に答えていた。
「っていうか、隆の寝ぐせが、あんまりにもひどかったからね」
麻美は、ルリ子にからかわれて、少し恥ずかしそうにしながらも、照れながら嬉しそうに答えた。
「ルリちゃんの髪もとかしてあげようか」
髪をとかしていた隆が、デッキに出て行ってしまって、手持ちぶさたになった麻美は、手にしていたブラシで、今度は、ルリ子の長い髪をとかし始めた。
ルリ子の髪は、肩の下辺りまで伸びているので、とかしがいがあった。
「ありがとう」
髪をとかしてもらえて、気持ち良さそうにしながら、ルリ子は麻美に言った。
後ろから、麻美に髪をとかしてもらいながら、ルリ子は、ギャレーで朝ごはんのフレンチトーストを焼いていた。
「あ、動いた。出航したね」
船が揺れて、体のバランスを失った麻美は、ルリ子の背中に手を捕まりながら言った。
ラッコは、マリオネットや海王と共に、横浜、横浜マリーナを目指して岡田港を出港していた。
東京湾のイルカ
港を出ると、すぐ目の前に東京、三浦半島が見えていた。
「もう、横浜も近いね」
佳代が言った。
波浮の港を出ると、まずは大島をぐるっと周ってから、東京方面を目指す。大島を周ってからも、しばらくは真横に大島を見ながら、ずっと島と一緒に走らなければならなかった。
それが、岡田港ならば、港を出てすぐに、三浦半島が見えている。
いや、港を出る前から三浦半島は見えているかもしれなかった。
「三浦半島は、見えているけど、まだまだ、あそこまで到達するまでには、けっこうかかるよ」
隆は、笑いながら佳代の言葉に返事をした。
それでも、目の前に行き先が見えているというのは、気分的には楽だった。
「出航のほうは落ち着いた?落ち着いたら、中で食事にしましょう」
朝ごはんの支度が終わった麻美が、船内からデッキの皆に声をかける。
デッキで操船をしていた皆は、ぞろぞろと船内に集まって来た。
パイロットハウスのサロンには、ルリ子の焼いたフレンチトーストがお皿に盛られていた。ティーカップには、紅茶も添えられていた。
「いただきます!」
皆は、一斉に席について食事を始める。
佳代だけは、パイロットハウスの操船席で、ステアリングを握りながらの食事だった。
数時間、走って、ヨットはようやく東京湾の入り口にさしかかっていた。
「おお!ルリ子、右のほうをみてごらん!」
洋子と並んで、船首デッキ上で昼寝をしていた隆が、起き上がって、船尾のコクピットにいるルリ子に向かって叫んだ。
「え、なに?」
ルリ子は、隆に言われて、慌てて船の右方向の海面を見た。
その先の海面に何かがいるみたいで、白波がおきていた。
「何、あれ?」
ルリ子は、一生懸命に目をこらして海面を見つめた。
「イルカだよ」
隆は言った。
その声に、隣りで寝ていた洋子も起き上がって、そっちの海面を見た。たくさんのイルカが群れで飛び回っていたのだった。
「え、本当に、あれってイルカなの?」
近眼で目の悪いルリ子は、まだ一生懸命、沖の海面を探していた。
東京湾にイルカがいるというのも、ルリ子には信じられなかったのだ。
そんなルリ子に挨拶をしに来てくれたかのように、イルカたちは、ラッコを見つけると、こちらに寄って来た。
「あ、本当だ!イルカだ!」
ルリ子は、大声で叫んで、デジカメで寄って来るイルカたちの写真を撮り始めた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。