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緊張のセイリング

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この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第206回

斎藤智

「私、入れますよ」

麻美が暁のクルーに言った。

オーナーの望月さんが、レースがスタートする前に一杯だけお茶を飲みたいといったので、クルーの子がお湯を沸かしてお茶、インスタントだけど、を淹れようとしていたのだ。

「あ、そんなゲスト、お客さんにお茶いれさせるわけにはいかないです」

クルーの子は遠慮している。

「え、そんな。ゲストじゃないから、私乗せてもらってるんだから」

麻美が答えていた。

「大石くん、麻美ちゃんにいれてもらいなよ」

望月さんが後ろのオーナーズチェアからクルーの子に言った。

「あ、そうですか」

クルーの子は、麻美にやかんを手渡しながら返事した。

「女性にお茶はいれてもらったほうが美味しいですものね」

ラダーを握っていたボースンのクルーが望月さんのほうに向きながら笑顔で言った。

「そうだな」

望月さんも笑って返していた。

麻美が、皆の分のお茶をいれてカップを手渡す。

「美味しい!」

「うちのヨットは、普段女性がいないから、こんなふうにお茶は出てこないから美味しいよ」

望月さんは、麻美ちゃんに言いながら、カップのお茶を口にしている。

「そんな、ただのインスタントですけど」

麻美は、暁のクルーたちのおおげさなのに苦笑していた。

「いや、本当に」

「カップの横に、こんなティースプーンなんて付いてこないですものね」

「本当、本当。ふだんはどっかとカップがデッキに置かれるだけですものね」

クルーたちは話していた。

ブオオオオオーン!

でも、レースのスタートの号砲が海面に鳴り響いて、レースがスタートすると、クルーたちは皆、緊張した顔になり、セイルを必死にトリムしている。

セイルトリムが終わったクルーたちは、船の風上側に行き、そこでヒールを殺している。

そんな屈強なたくましい男性クルーたちに混じって、雪もデッキを前に後ろに動いてセイルを微調整していた。

そんな雪の姿を見ながら、麻美は、雪ちゃんさすがだな、と感心していた。

隆に誘われて、ラッコのヨットに乗るようになったのは自分のほうが早いのに、自分なんてまだよくヨットの原理がわかっていないのに、雪ちゃんのほうがすっかり上達してしまっている。

麻美は、なんだか自分がこんなデッキの真ん中に突っ立っていたらじゃまになるかなと思ったので、最後部の望月さんが座っている反対側のオーナーズチェアに移動した。

「佳代ちゃん、私たちじゃまになっちゃうから、後ろにいましょう」

麻美は後ろの席から、佳代に声をかけた。

「はーい」

麻美に言われて、佳代は返事したもののちょうどウインチにかかったジブシートのロープを手に持って、引っ張っていたときだったので、そのロープ、シートをどうしようか迷っていた。

「シートをちゃんと引っ張っておいてね」

佳代が引いていたジブシートのウインチをハンドルで回していた男性クルーが佳代に言った。

「はい」

佳代は、あわててシートをギュッと引き直した。

「あ、佳代ちゃんはやることがあったのね、ごめん」

麻美は、それを見て言った。

「彼女、背はちいちゃいけど、ヨットの上でしっかり動いて働いてるよ」

望月さんが麻美に佳代のことをほめた。

「そうなんですか」

「うん。彼女は動きに無駄がない、あっちこっちしっかりトリムしてるよ」

望月さんに佳代のことをほめられて、麻美はなんだか自分のことのように嬉しかった。

「雪ちゃんも、佳代ちゃんも、しっかり活躍してるんだ」

「ええ」

「活躍できなくて、じゃましてるの私だけね」

麻美は苦笑した。

「そんなことないですよ、もう少し上りになったら、風上でヒールをつぶしたり、やれることいっぱいありますから」

望月は、麻美に答えた。

「ああ、私の体重でもお役に立てるんですね」

「もちろん!」

望月は答えた。

「しっかり体重で、ひっくりかえろうとする船を元に戻しましょう」

望月は、自分の大きなお腹を揺らしてみせながら言った。

「望月さん、それ。なんか女性に対して失礼ですよ」

前部にいた若い男性クルーが望月さんに言った。

「あ、そうか」

望月さんが、麻美のほうにこれは失礼という顔をしながら答えた。

デッドヒート

暁は、ゴールした。

結局、最後はかなりのデッドヒートになってしまったが、なんとか一位でゴールすることはできた。

戻ってきた暁が、ゴールラインを越えたのを確認してから、ラッコのデッキにいるルリ子が笛を吹いた。

暁が一位です!おめでとうっとばかりに香織が暁のデッキ上にいる麻美たちに思い切り手を振っている。

がデッドヒートしていたヨットは、J24といって湘南なんかでは大学や社会人のヨットグループがヨットレースで競い合うために使われているヨットだ。

名前のJ24のとおり、見た目は24フィートしかない小型のセイリングクルーザーだった。

しかし、その内面には早くヨットを走らせるための工夫が施されているヨットだ。

この小型のヨットと暁は、レース終盤で競い合ってしまったのだった。

最終的には、一番でゴールできたとはいえ、30フィートオーバーの暁が、わずか24フィートの長さしかないヨットとほぼ同時にゴールしてしまったのだ。

ヨットレースには、もともとのヨットの持つサイズで勝ち負けが決まってしまわないように、レーティングというハンディキャップシステムが設けられていた。

レース参加艇それぞれのヨットで、スタートした時間からゴールした時間までの総合タイムを出して、そこにそれぞれのヨットの長さなどの計測値から割り出した計算式を掛けあわせて、それぞれのヨットで修正タイムを出す。

最終的に、その修正時間の短さでレースの優勝艇、順位を決めるのだ。

その修正時間を求める計算式は・・各艇の全長からバラスト比、マスト長などから複雑に割り出して、ああ、計算式が複雑すぎて、数字の苦手な隆には計算しきれなかった。

「このゴール差では、暁に勝利ないだろ?」

隆は、レース艇のタイムを記帳しているルリ子に聞いた。

「うん。ぜんぜん修正で完全に追い抜かれると思う」

会社でも、経理を担当していて、わりと計算の得意なルリ子は、頭の中でパッと暗算して暁のタイムを求めて答えた。

ラッコのメンバーの中では、ヨットレースの計算式がわかるのは、ルリ子以外にはほかに誰もいない。

「やっぱりね」

洋子がルリ子の言葉を聞いて答えた。

「望月さんも、この差じゃ追い抜かれるってわかっているよね?」

「うん。だから、あんまり一位でも喜んでなさそうだものね」

洋子が隆に答えた。

「洋子は、そのことをわかっていたんだ」

「うん。だから、私、一位でも暁さんに向かって手を振らなかった」

「ハハ。そうか、何も知らずに手を振っていたのは麻美だけか」

隆は、麻美のさっきの姿を思い浮かべて苦笑いしてしまった。

「は~い、私も手を振っちゃった」

香織もバツわるそうに白状した。

「香織は、別に暁に手を振っていたんじゃないだろ。暁で手を振っていた麻美に返してあげていたんだろ?」

「え?そ、そうね」

香織は、隆に笑顔で答えた。

「先に横浜マリーナに戻っているね!」

暁の艇上から麻美がラッコのほうに向かって叫んでいる。

「ああ、わかった!」

隆も、ラッコの艇上から暁の麻美に向かって手を振って返事した。

暁は、レースを終えて横浜マリーナの港に戻っていった。

二番目でゴールしたJ24のクルーたちは、ゴールしたときの表情が暁のクルーたちと対照的に明るかった。

なにしろ、たった24フィートのヨットで、30フィートオーバーのヨットに追いついてしまったのだ。

本部艇のラッコにも笑顔で手を振っている。

それは、それは気分が良いだろう。

「一位だよ!すごいね、優勝だね!」

今度は、ラッコのメンバー皆も、思い切り手を振って、小さなJ24のメンバーたちの勝利を称えてあげた。

暁も、いつも横浜マリーナで一緒にヨットに乗っている仲間だが、J24のメンバーも、いつも横浜マリーナで一緒にヨットに乗っているメンバーなのだ。

どのヨットが勝っても、お互いの勝利を称えあえるのが、クラブレースの良いところでもあるのだろう。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。

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