この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第87回
斎藤智
隆たちは、少し館山の町を歩いてみることになった。
ラッコの側面に付いているドアの鍵を締めると、麻美は小さなバッグを持って港を出た。
「あの山の上に、見えるお城が館山城だよ」
「本当だ。お城って、私、一回も入ったことない」
ルリ子が言った。
「時間があれば、あそこまで行ってみたいけど、けっこう距離があるからな」
館山城は、港からちょっと離れているので、行くのをあきらめて、駅前に行ってみることになった。
駅までの道は、けっこう広めの舗装された道路が海岸沿いに続いている。
「お店とかビルは、あんまり無いけど、館山の町は、けっこう栄えているのね」
「うん。まあね、って麻美は、どこと比べて栄えているって言っているの?」
「え、前に行った保田とか勝山の港町よりは、同じ千葉で都会かなって思ったの」
館山の町、港のすぐ側には、わりかし大きなスーパーマーケットもあった。
今回の旅は、そんなに長くないし、今朝、横浜マリーナから来たばかりなので、まだ食料も船にいっぱい積んであって、買い出しの必要はないが、長めのクルージングのときには、買い出しが便利な港かもしれない。
駅前に到着した。
駅も、勝山の駅よりは、はるかに大きな駅舎だった。
隆たちは、ぶらぶらと横に長く並びながら、駅舎の中に入って、案内表を眺めた。
「東京からだと、ずいぶんたくさんの駅に停まるんだね。私たちかなり、遠くまで来たんだ」
「本当だ。館山って鴨川とかの近くなのかな?そしたらヨットで、ここから鴨川とかも近いの?」
佳代が麻美に聞いた。
麻美も、よくわからないので、隆のほうを見た。
「鴨川か。ヨットでも、ここから行けないことはないよ。行けないことはないけど、湾を出たら、灯台を周って外房のほうに出ないと行けないから、帰りが大変だよ」
隆は答えた。
「それに外房は、外海、太平洋に面しているから、天候によっては、けっこう波とか風もあるよ」
「そうなんだ。それじゃ、ヨットは、ここに停めて、電車で行く方がいいかもね」
皆は、駅舎を出た。
「さあ、向かいのところにあるお風呂屋さんに行ってから、船に戻ろう」
隆が言って、皆は駅前の風呂屋に入って行った。
勝山
ラッコは、朝早くに館山港を出港した。
昨夜は、隆が言うところのトラブルメーカー、マリオネットもいないし、館山の夜は静かなものだった。
いつもマリオネットのメンバーたちと夜遅くまでお酒を飲んで、起きている麻美と雪も、早く寝る洋子たちと同じ時間に早々に眠ってしまっていた。
本日の目的地は、千葉の内房、勝山の港だ。
館山から勝山までは、同じ千葉の房総半島ということもあり、だいたい3、4時間ぐらいで行ける。
9時に出航したとしても、お昼過ぎには到着してしまう計算だ。
にも関わらず、ラッコは朝の6時過ぎには、もう館山港を出港していた。
「暁って早いの?一番でやって来るかな」
ルリ子は、隆に聞いた。
「たぶん。うちのマリーナだけでなく、けっこう相模湾のヨットレースでも上位を走っているヨットだから、一番にやって来るとは思うんだけどね」
隆は、ルリ子に答えた。
その日の朝、暁たちが参加しているヨットレースは、8時に木更津をスタートしているはずだった。
「朝8時に木更津スタートっていうことは、暁さんって前の日から木更津に泊まっていたの?」
麻美は、隆に聞いた。
「そうだよ。いや、木更津のホテルに泊まっていたってわけではなくて、昨日の夜、深夜に横浜マリーナを出航して、朝早くに木更津到着しているはずだよ」
「夜じゅう走っているの?それじゃ、ぜんぜん寝ていないんじゃないの」
「うん、寝ていないよ。まあ、仮眠ぐらいはしているかもしれないけど…」
「それで、そのままレースに出場しちゃうの?すごい!私には、とても無理。大学の受験とかだって、前の日には、いつもよりも早く寝て、しっかり睡眠とらなければ実力出せないのに」
麻美が言うと、
「それで、前の日にぐっすり寝たおかげで、麻美は希望通りの大学に合格できたんだ」
「うん、まあね。2個は落ちたけど・・」
麻美は、隆に答えた。
「って、うるさいな。隆は余計なこと言わないでいいの」
麻美は、隆の頭をコツンと小突いた。
「前の日の廻航から、クルーにとってのヨットレースは、始まっているんだろうな。廻航も含めてがレースなんだよ、きっと」
ラッコは、館山湾を出て、昨日走った航路を、昨日とは逆に北上していく。
しばらく行くと、勝山の前にある浮島が見えてきた。
「戻って来たな」
隆は言った。
浮島にやって来たラッコは、その沖でアンカーを落として、暁たちレース艇がやって来るのを待つことになった。
マリオネットとの再会
暁がやって来た。
暁が、こちらに向かってやって来た。
麻美は、双眼鏡を片手に、木更津方面を覗きながら暁が来るのを待っていた。真っ赤なスピン、スピンネーカーを上げて、ヨット集団の中、一番先頭でこちらに走って来るヨットがあった。
「暁さん、来たよ!」
麻美は、その派手な赤いスピンネーカーを見つけると、隆に報告した。
「暁って、あんな真っ赤なスピン持っていたっけ?」
隆は、暁のスピンは青かった気がしていたので、首を傾げた。
「新しく新調したのよ。私、この間、佳代ちゃんと一緒に、あの新しいスピンを見せてもらったもの。ね、佳代ちゃん」
「うん。私たちに見せながら、望月さんがものすごく自慢していたよね」
佳代は、麻美に答えた。
「確かに!すごく自慢していたよね。あのスピンは50万以上掛かったんだとかって」
麻美も頷いた。
「スピンに50万か。うちだったら、スピンに50万なんて考えられないよな。50万あったらテント付けるとか、性能の良いオートパイロット付けるとかしたするな」
隆が言うと、横にいた洋子も、確かにって感じで頷いていた。
赤いスピンのヨットが、近づいてきて、だんだんその船体まで肉眼でもはっきり見えるようになってきた。
麻美の言うとおり、赤いスピンのヨットは、暁だった。
暁は、後ろに何艇ものヨットを従えていた。
「さすがね。暁さん、一番じゃない」
「ほかのヨットを、後ろに従えてかっこ良いわね」
麻美たちが、話していると、暁がすぐ側まで寄って来た。
ラッコのステアリング、舵を握っていた洋子は、レースのじゃまにならないように、レースの針路から船を外にずらした。
「暁さーん」
麻美は、やって来た暁の乗組員に手を振った。
暁に乗っていた乗員や望月さんも、麻美が手を振っていることには、気づいていたようだったが、レースに真剣で麻美に手を振り返しているどころではなかった。
暁の船の後部の席に、でんとオーナーづらして腰掛けている望月さんだけが、麻美の方に向かって大きく手を振り返していた。
「レースで抜かれないようにするのに必死で、麻美にまで手を振り返していられないってさ」
隆は、微笑みながら麻美に言った。
暁は、すぐ後ろに迫っていた後続艇とデッドヒートを繰り返しながらも、一番に浮島を周って、木更津に戻って行った。
スタートした木更津にゴールラインがあるのだ。
「さあ、俺らは、勝山港に入港しようか」
レースの参加艇のほとんどが浮島を周って、木更津に戻っていってしまうと隆は、ラッコを勝山港に入港させた。
港内には、マリオネットの姿があった。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。