この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第134回
斎藤智
マリオネットの中野さんは、せっかくの連休だし、どこかに出かけたいと思っていた。
「今日は、どちらに行くんですか?」
隆は、マリオネットのクルーの馬渕さんに尋ねた。
馬渕さんは、大きなバッグを抱えて、横浜マリーナの敷地内を歩いていたのだった。
「まだ、決まっていないんです。隆さんたちはどちらへ?」
馬渕さんは、答えた。
「千葉の保田まで行ってきます」
「保田か、いいですね。うちは、オーナーと二人だけなのでどうしようかって悩んでるところなんですよ」
「そうなんだ」
隆は、馬渕さんと別れて、メンバー皆がいるラッコの艇庫に行った。
ラッコの艇上では、雪と洋子がセイルを縛りなおしていて、出航準備を整えていた。
キャビンの中では、ルリ子と佳代が食材や荷物を整理していた。
「麻美は?」
麻美の姿が見当たらないので、隆は洋子に聞いた。
「私たちも探していたの。どっか行ってしまったみたい…」
二人がデッキ上で話していると、麻美が戻って来た。
「お帰り。どこに行っていたの?」
「水をタンクに入れてきたの」
麻美は、手に持っている飲料水用のポリタンクを見せながら答えた。
「帰りに、中野さんに捕まってしまって、ずっと話していたら遅くなってしまって…」
麻美が洋子に言った。
「ね、隆。中野さんのマリオネットって今日、クルーの子と二人だけなんだって」
「そうらしいね。さっき、クルーの馬渕さんに聞いたよ」
隆が答えた。
「二人だけだって、保田ぐらいまでだったら行けるよね?私、一緒に行きましょうって答えてしまったんだけど…」
麻美が聞いた。
「あ、まあ、二人でもマリオネットの船ならば、保田ぐらいまでだったら行けるだろうけど…」
隆は、洋子のほうを見ながら返事した。
「なんか大変になりそう…」
洋子が小声でつぶやいた。
「マリオネットと一緒に行くと、なんかトラブル起きて、対応に苦労しそう…」
雪は、夏のクルージングでマリオネットがエンジントラブルを起こしたときのことを思い出しながら言った。
「な、そうだよな。だから、俺は、馬渕さんに聞いた時も、特に誘わなかったんだ」
隆が、雪に同意した。
「そんなイジワル言わないの」
麻美は、二人の頭を軽くコツンとしながら言った。
「出かけましょう」
横浜マリーナのスタッフにお願いして、クレーンで艇庫の中のラッコの船体を引っ張り出してもらうと、海に浮かべてもらった。
ラッコの皆は、海に浮かんだラッコに乗りこむと、保田を目指して出航した。
そのすぐ後に、マリオネットも横浜マリーナスタッフにクレーンで下ろしてもらって、横浜マリーナを出航した。
マリオネットは、ラッコの後ろにぴったりとくっついて突いて来た。
マリオネットと一緒に走りたくないなどと冗談を言っていた隆と雪も、航海中ちゃんとマリオネットが突いてきていることを、ときどき振り向いて確認していた。
保田に入港
久しぶりに東京湾を渡って、千葉の保田までやって来た。
去年の秋以来、冬の寒い間は、横浜マリーナの近海でセイリングしていただけなので、千葉まで来るのは、久しぶりだった。
浦賀の辺りまで南下してから、東京湾を横断して房総半島側にやって来た。
そこに保田はあった。
まあ、しばらく来なかったからといって急に、そこから消えてしまうなんてことは滅多に無いのだが。
周りに静かな海水浴場がある漁港だった。
漁港の目の前には、漁港で獲れた魚を料理してくれる番屋という漁港経営のレストランがあった。
この漁港に停泊すると、漁港が割引券をくれるのでやって来たヨット、ボートの乗員は皆、大概その日の夕食は、この番屋で食べている。
隆たちも、今夜の夕食は、ここで食べるつもりでいた。
「はい。そのまま、入港してください!」
隆は、自分たちのラッコを停泊し終わった後で、入港してきたマリオネットに叫んでいる。
「大丈夫ですよ。もやい取るのは、こっちにいくらでも人数いますから」
二人だけで操船しているマリオネットと違い、ラッコの艇上には、すっかりベテランの女性クルーになっていた乗員たちがたくさん待機していた。
マリオネットが、ラッコの真横に横付けした。
ラッコのクルーたちは、マリオネットの艇体を押さえると、飛び乗って、もやいをしっかり結びつけた。
「お願いします」
マリオネットのクルーの馬渕さんは、こちらに飛び乗って来た佳代に、もやいロープを手渡した。
「はーい」
佳代は、馬渕さんからもやいを受け取ると、それをマリオネットとラッコのクリートに結んだ。
「なんだか、久しぶりでもやいの結び方忘れてしまいましたよ」
馬渕さんは、ラッコのコクピットに立っていた隆に言った。
「ずいぶん、ヨットに来ていませんでしたものね」
「2年ぐらい、いやもう3年ぶりぐらいかな…」
馬渕さんは、答えた。
3年前にマリオネットに乗りに来ていた頃は、馬渕さんは大学生だった。卒業して、社会人になってからは、会社が忙しく、ヨットはすっかりごぶさたになっていた。
「保田ってこんなにきれいな港になったんですね」
3年前の保田には、まだ番屋もなく、ただの漁船が泊まっているだけの汚い漁港だった。
こんなに今のようにヨットやボートが東京からやって来ることも無かった。
「今や、週末になったら、東京からボートとか観光客がいっぱい来ますものね」
保田の漁港は、歩いて10分ぐらい行ったところに電車の駅があった。
内房線だ。
その電車に乗れば、浦安や東京までも2時間ぐらいで帰れる。
アクアラインや高速道路も整備されているので、獲れたての新鮮な魚を食べようと車でやって来る人も多かった。
「お昼は食べましたか?」
「浦賀の辺りを走っているときに、コンビニで買ったおにぎりを食べました」
麻美と中野さんは、話していた。
洋子は、佳代やルリ子たちを誘って、ラッコに戻って船内の片づけをしていた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。