この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第180回
斎藤智
隆と雪は、暁からヨットに戻ってきた。
戻って来てキャビンの中に入ると、朝食の良い匂いがしていた。
「おはよう。どこに行っていたの?」
麻美が二人に聞いた。
ほかの皆も、もう起きていて、サロンのテーブルで朝食の準備をしていた。
焼きたてのトーストと一緒に、スクランブルエッグやベーコンなどが置かれていた。
「暁でコーヒーをご馳走になっていたの。キャビンの中とか何もないんだけど、艤装が工夫されていてセイリングしたら、面白そうなヨットだったよ」
雪は、暁に乗ってきたことを話していた。
「雪ちゃん、熱海以来、ヨットレースに凝っているね」
麻美は、朝のコーヒーをポットからカップに注ぎながら言った。
「おはよう」
皆が朝食を食べていると、マリオネットの中野さんがやって来た。
「おはようございます」
麻美は、中野さんの分のコーヒーを淹れながら言った。
「今日、うちの船はクルーが私ともう一人の二人だけなんだ」
中野さんは、麻美の淹れたコーヒーを飲みながら話した。
「二人だけって、美幸ちゃん?」
「ああ、美幸君は、ここにいたんだ」
中野さんは、麻美に言われて、ラッコのキャビンにいた美幸のことに気付いた。
「美幸君がいるならば、今日はクルー三人」
中野さんは、クルーの人数を訂正した。
「三人だけなら、うちのマリオネットは出さないで、ラッコに乗せてもらおうかな」
中野さんは隆に言った。
「良いんじゃない。皆で一台に乗って出航しましょうよ」
そう答えたのは、麻美だった。
「ねえ、そしたら隆さんと私は、暁に乗りに行かない?」
雪は、隆に提案した。
「いいよ。望月さんに聞いてみようか」
隆は答えた。
「ねえ、佳代ちゃん。私と一緒に暁さんに乗せてもらわない?」
麻美は、隣の席の佳代に言った。佳代は、麻美に頷いた。
「それじゃ、隆はこのヨットのオーナーなんだからラッコに乗っていってよ」
麻美は、隆に言った。
「私と雪ちゃん、佳代ちゃんの三人で暁に乗せてもらうから」
「いいけど」
隆が返事したので、麻美と雪、佳代の三人が暁に乗ることになった。
「雪と佳代は大丈夫だろうけど、麻美はレース艇に乗ったら、足手まといだから、邪魔にならないように端っこのほうで静かにしているんだぞ」
隆は、麻美につけ加えた。
「はいはい。ちゃんと静かにしていますよ」
麻美は、苦笑していた。
三人が朝食の後、暁に乗せてくれと頼みに行くと、
「ぜひぜひ、どうぞ」
と望月さんに歓迎してもらえた。
暁が横浜マリーナの艇庫から出されて、クレーンで海上に下ろされると、麻美たちは、ほかの暁のクルーたちと一緒に、ヨットに乗り込んで出航していった。
「バイバイ!」
麻美は、デッキ上から横浜マリーナのポンツーンに立っている隆たちに向かって、元気に手を振っていた。
「ほかの皆は、出港で緊張して乗っているのに、能天気に手を振っているのは、あいつだけなんだけど」
隆は、手を振っている麻美のことを陸上から眺めながらつぶやいた。
レース艇
隆たちも、横浜マリーナのスタッフにヨットを下ろしてもらうと出港した。
エンジンは、レース艇の暁のエンジンよりも、モーターセーラーのラッコのエンジンのほうが大きく馬力も強いので、ラッコが出港すると、先に出港した暁に港の入り口のところですぐに追いついた。
「セイルアップ!」
横浜マリーナのある港、湾内を出ると暁は、セイルを上げた。
「早っ!」
暁のセイルが上がるところを見ていたラッコの乗組員は皆、口々に言った。
ラッコで、セイルアップ!をすると、
「ちゃんとワンポイントリーフは緩めたか?」
「そっちのロープを引っ張るのよ」
「ウインチに2回は巻いてあがらないと、うまく上がらない」
などと、デッキ上でもたもたのんびりしながら、ようやくセイルがマストを伝いながら、のろのろと上がっていくのだ。
それが今、暁ではどうだろう。
セイルアップ!
の望月さんのかけ声と同時に、クルーがてきぱきとデッキ上を動いて、あれよあれよといつの間にか暁のセイルは、マストのトップまで上がってしまい、風を受けて走っていた。
「うわ、もう上がったな!」
隆たちが、あっという間に上がってしまったメインセイルに感動していると、その間にいつの間にかジブセイルも上がっていて、ラッコのはるか前方まで行ってしまっている。
「もう、あんなところまで行ってしまっている」
「それじゃ、うちらもセイルを上げようか」
隆の声で、ラッコの面々もセイルを上げ始めた。
いつものように、のろのろのんびりとメインセイルが上がっていく。
きっちりメインセイルが上がり切った後で、さらにジブセイルがのろのろと展開された。
「ジブセイルの展開は、ジブファーラーだから、暁よりもうちの船の方が早く上がったよな」
隆がルリ子に言った。
「そうでもなかったかもよ」
ルリ子は、隆の言った言葉に頷いていたが、洋子は否定した。
「ジブファーラーのロープを引くだけのはずの私たちよりも、暁さんのほうがぜんぜん早くジブセイルも上がっていたよ」
「そうかもね。なんでだろうな?」
隆は、洋子に言った。
「そりゃ、向こうはいつも練習しているからじゃないか」
中野さんが答えた。
「そうですよね。うちらと言ったら、毎週だらだらとヨットを出して、数時間走ったら、すぐにエンジンをかけて港に入って、そこでお昼を食べて、お酒を飲んで、食後はお腹いっぱいで体が動かずに、だらだらと横浜マリーナに機帆走で戻って来るんですものね」
隆は苦笑した。
「なかなか動きが良いじゃないですか」
雪は、望月さんに褒められた。
長身で肩幅の広い雪は、暁の屈強な男性クルーたちにもひけを取らずに、しっかりとウインチを回したりして、セイリングのトリムを手伝っていた。
女性としては、けっこう屈強なほうの雪が、ちゃんと活躍できているのはともかく、背が低く小さな佳代でさえ、屈強な暁の男性クルーの中に混じって、しっかりフォアデッキまで走り回ってセイルを整えていた。
「ラッコさんのクルーは、美しい女性ばかりだけれども皆、優秀だね」
二人のヨットの上での動きを、望月さんは麻美に褒めていた。
「そうですよ。うちの子たちは皆、優秀ですから」
自分ではヨットの上であまり動けない麻美だったが、望月さんに褒められて、まるで自分のことをほめられたように、麻美は嬉しそうにしていた。
「ただ、私がぜんぜん動けなくて・・」
麻美が望月さんに言った。
「麻美さんは別にクルーではないから」
「え、私ってクルーじゃないんですか?」
「だって、ほら、オーナー夫人でしょう」
望月さんは、麻美に言った。
「オーナー夫人、私まだ結婚してないけど」
「あ、そうか。これは失礼!まあ、でも、オーナー夫人みたいなものだよね」
望月さんは、麻美に笑顔で話していた。
横浜マリーナのすぐ側の海域には、貨物船が走るときの目安のために、ブイがいくつか浮かんでいた。
暁は、そのブイとブイの間をレースコースに見立てて、その間をぐるぐると回りながら、レースの練習をしていた。
スピードは、暁に比べると遥かに遅いが、ラッコも暁の走ったコースの後ろをついて、同じようにブイを回っていた。
「同じように回っているつもりなのに、暁さんに比べると、うちらはセイルがバタバタしながら回って、回り方があんまりかっこ良くないね」
洋子が言った。
隆も、洋子と同じように思っていたので苦笑していた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。