ヨットでのお泊り

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第176回

斎藤智

隆は、仕事を終えて、会社のビルを出た。

残業をしていたら、少し遅くなってしまった。

「社長!車、持ってきたから」

駐車場の入り口から車が出てきた。

その窓から顔を出しているのは麻美だった。

隆は、駐車場から出てきた車の助手席に乗った。

「社長はやめてよ」

隆は、車に乗りながら、照れて言った。

「あら、どうして?隆は社長でしょう」

麻美は、車を運転しながら言った。

「今日さ、隆もどうせ家に帰っても夕食の準備していないでしょう。このまま、私のうちに帰るから、夕食はうちで食べて、泊っていきなね」

「なんで?明日も会社あるんだけど…」

「だから、明日、会社にはうちから出社すればいいでしょう」

麻美は言った。

麻美は、もうすっかり今夜は、隆をうちまで連れて帰るつもりで、車は、麻美の家に向かって走っていた。

隆が、いや、今日は用事があるから帰るなどと言っても、麻美は、このまま自分の家に車を向けたままだろう。

社長などと言われても、実際には麻美の方が主導権あるのだ。

「ただいま」

麻美は、家に帰ると、玄関のドアを開けて、中に向かって叫んだ。

「隆さんは?」

エプロンを付けたお母さんが、出てきて言った。

「隆さん、お疲れ様。お仕事、大変だったでしょう」

麻美のお母さんは、玄関に出てきて、隆の姿を見つけると、持っているバッグを受け取り、スーツのジャケットを脱がせて、ハンガーにかけている。

「私はどうでもいいんだ」

麻美は、隆の世話ばかりして、自分のことを放りっぱなしにされているお母さんに言った。

「あんたは、別に自分で脱いで片付けられるでしょう」

お母さんは、麻美に言った。

「あのう、僕も自分でやりましょうか」

隆が、脱いだ服を自分でハンガーにかけようとした。

「いいの、いいのよ。隆さんはお仕事で疲れているんでしょうから、先にリビングに行って休んでいて」

麻美のお母さんは、隆のことを制止すると、自分で隆の服をハンガーにかけた。

「お母さん、隆のこと大好きだものね」

麻美は言った。

「私だって、隆と同じ会社で仕事して戻ってきているんだけどな…」

麻美は、隆を引っ張ってリビングに連れていきつつ、自分の部屋に着替えに行った。

部屋で着替えていると、電話がかかってきた。

「はい、もしもし」

麻美は、着替えながら電話に出た。

「あ、洋子ちゃん」

電話の相手は、洋子からだった。

「麻美ちゃん、どうかしたの?」

「ううん、なんでもないよ。今、会社から帰ってきたところで、着替えていて脱いでたスカートのファスナーが引っ掛かってしまって…」

「麻美ちゃんって家ではスカート着ているんだ」

「そんなことないよ。ズボンのほうが多いかな。会社から戻って来たからスカートだったのよ。家ではズボンばかり」

「私、家も会社もズボンばかり」

「洋子ちゃんは、スタイルいいからパンツルック似合うものね」

麻美は、スカートを脱いで、部屋着のズボンを着ながら話している。

「うん、それじゃね」

麻美は、洋子との電話を切ると、自分の部屋を出て、隆の待っているリビング、ダイニングに向かった。

「ごめん、お待たせ。洋子ちゃんから電話があった」

麻美は、ダイニングルームに入ると言った。

「へえ、何だって?」

「今度の土曜に、朝から横浜マリーナに行って、一日遊んで、夜はヨットにお泊まりして、日曜にデーセイリングしようって」

「あ、今度の土日はマリーナでお泊まりだ」

隆は、麻美から聞いて、返事をした。

朝寝坊

隆は、玄関のベルが何度も鳴る音で、ようやく目を覚ました。

「隆!いるの!?」

玄関の外から麻美の大きな声がしていた。

パジャマ姿のまま、眠い目をこすりながら隆は、玄関のドアを開けた。

「おはよう。ずいぶん早いじゃん」

隆は、あくびをしながら言った。

「もしかして、まだ寝ていたの?皆、待っているよ」

玄関の外にいた麻美は、パジャマ姿の隆を呆れた顔で見ながら言った。

「あ!」

麻美に言われて、隆もようやく思い出した。

今日は、土曜日だが、横浜マリーナに行く日だった。

「いや、いつもヨットに行くのは日曜日だから…」

隆は、あわてて部屋で服を着替えて、出てくると麻美に言い訳していた。

土曜日だから、そう思って、ずっと眠ってしまっていたのだった。

急いで出かける準備をすると、麻美の運転する車に乗って、横浜マリーナを目指した。

「どこか途中で、朝ごはんを買っていこうか」

麻美は、運転しながら助手席の隆に聞いた。

隆は、大丈夫と言って、朝ごはんを買っていくのを断っていた。

「でも、朝ごはんをちゃんと食べないのは、体に良くないよ」

麻美は言った。

「それじゃ、横浜マリーナに着いたら、向こうでどこかのお店で朝ごはん食べましょう」

麻美に言われて、隆は頷いた。

「おはよう」

隆と麻美が、横浜マリーナの駐車場に車を停めて、艇庫のヨットに行くと、皆は既に来ていた。

ギャレー前のサロンのベッドルームは、別にして、ほかのキャビンのベッドには、ベッドメイクがしっかり完了していて、今夜眠れるように準備できていた。

いつものラッコのメンバーだが、それにマリオネットの美幸も一緒だった。

日曜日は、マリオネットもヨットを出しているので、マリオネットに乗艇しているが、土曜日は、マリオネットは出ないので、ラッコに乗りに来たのだった。

といっても、今日は、ラッコも出航する予定はなかった。

一日、のんびり船の上で過ごして、お腹がすいたら、目の前のショッピングスクエアのレストランで食事をしようというのだ。

ヨットの電源を、マリーナの陸電設備につないだ。

これで、電気が使えるので、キャビンの中が少し寒ければヒーターを付けたり、テレビに、電子レンジと船の中で電化製品が使えるようになった。

まあ、これから夏なので、キャビンが寒いということは無かったが。

麻美が、駐車場からマリーナに来るまでの道にあったお店で買ってきたサンドウィッチを隆の前に出した。

テーブルの上には、洋子が買ってきたスイーツも置いてあった。

「俺、こっちのお菓子でいいよ」

「だめよ。お菓子じゃ朝ごはんにならないでしょう」

麻美に言われて、隆は、スイーツの前に、まずはサンドウィッチを食べさせられた。

「今朝さ、隆の家に向かいに行ったら、何度もベルを押しても、ぜんぜん隆が出てこなくて…。やっと出てきたと思ったら、パジャマのままだったのよ」

麻美がサロンのソファに腰掛けて、皆に話しかけた。

「そうなんだ。隆さん、寝坊した?」

「ぜんぜん気付かずに寝ていた」

「隆、一人暮らしだから、ほかに朝、起こしてくれる人いないんだから、ちゃんと目覚ましとかかけるとかしないとね」

麻美は言った。

「朝、起こしてくれる人がいれば良いんじゃないの?」

「そうだよ。麻美ちゃん、隆君と結婚しちゃえば」

麻美は、ルリ子と雪に言われていた。

「隆と結婚じゃ、いろいろ大変そう」

麻美は苦笑していた。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。