この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第59回
斎藤智
「おはよう!」
隆は、朝、デッキ上で歯を磨いていると、雪が起きてきたので声をかけた。
家にいるときは、家のバスルームの洗面台の前で歯を磨いているが、クルージングに出ると、歯を磨くのは、いつも船の後部デッキに出て、そこでコップと歯磨きセットを持って磨いている。
口をゆすぐのは、コップの水でゆすいで、ゆすぎ終わった水は、そのままデッキから身を乗り出して、海の中にぺっと出している。隆は、この解放感ある歯磨きが好きだった。
「なんかいい。私も自分の歯ブラシ持ってきて、ここで磨こうかな」
「うん、そうしなよ。気持ちいいぞ」
雪は、歯ブラシを取りに、いったん船内のキャビンに戻っていった。
「おはようございます」
雪と入れ替わりに、隣りに停泊しているマリオネットのキャビンから、クルーの坂井さんが出てきた。
Tシャツに短パン姿だ。
短パンから出ている足は、日に焼けて見事にまっ黒になっていた。
会社でエンジニアをしている彼は、いつも冷房のきいた部屋で、ずっとパソコンの前で仕事している。
横浜マリーナを出航したときは、オーナーの中野さんに、女の子の足みたいと笑われていたぐらい、白い足をしていたというのに、クルージングに出たこの数日間で、見事にまっ黒に変わっていた。
「すごい、寝ぐせついていますよ」
坂井さんの後ろから続いて出てきた奥さんの頭を見て、隆は言った。ショートの奥さんの髪が、寝ぐせで見事に上に跳ね上がっていたのだ。
「あら、そお」
坂井さんの奥さんは、隆に言われて、あわてて自分の髪を手で撫でていた。
「ただいま」
歯ブラシを取りにキャビンに戻っていた雪が、手に歯ブラシを持って、戻ってきた。雪の後ろから、ルリ子や佳代も出てきた。二人とも、やはり手に歯ブラシを持っていた。
「私たちも、外で歯磨きをしようと思って…」
三人は、後部デッキに並んで、歯を磨き始めた。
「今日は、どこに行くの?」
ルリ子は、振り返って、口に歯ブラシを入れたまま、隆に聞いた。
「今日は大島。大島の波浮港に船を入れて一泊して、そこから横浜に帰ろう」
「はーい」
ルリ子は答えた。
「もう帰るんだね。早いな。もっとクルージングしていたいな」
「私も。このまま一年間ぐらい、ずっと海を走っていたいかも」
ルリ子も、佳代も、もうすっかり海の女になっていた。
「俺も、一年間ぐらいクルージングしていたいな」
根っからの海の男の隆も言った。
快適セイリング
今日も快晴の中、ラッコはセイルを上げて快調に走っていた。
「で、隆はどうなのよ?」
麻美が、船尾のベンチに腰掛けている隆に聞いた。
「え、それは仕事が無ければ、俺も、このままずっと南の島にでも行って、クルージングしていたいよ」
隆も、ルリ子や佳代と同じく、ずっとヨットでクルージングしたい派だった。
「私は、今回のクルージングは、一週間ぐらいで横浜に戻って、また仕事して普段の生活に戻って、ヨットは、次のまとまった休みが来たら出かけるのでいいかな」
麻美が言った。
「現実的だな、麻美は」
「大島って、ほかの島よりも大きいからわかりやすいね」
ステアリングを握っている洋子が言った。
大島は、ほかの伊豆七島に比べて、はるかにサイズが大きいから、目標物としても操船しやすかった。
「島のてっぺんには、三原山という三角の山があるだろう。あれのおかげで余計に目標にしやすいだろう」
「三原山って、以前に噴火した山だよね」
「ああ、大島に到着して時間があったら、登ってみようか」
洋子と隆は、話している。
「あっちの小さな島はなに?」
佳代が、目の前の大島ではなく、左舷に見えている小さな島を指さして聞いた。
「あれは、利島だよ」
「利島?」
「島は、小さいんだけど、あの島も、自然が豊かで良い島だよ」
隆は、答えた。
「行ってみたいな」
「あの島には、入港しないの?」
「利島は、ヨットで行ってみたいけど、ヨットは入港できないんだよ。だから、利島に行くとしたら、東海汽船に乗って行くしかないんだ」
「なんだ。つまらない」
ルリ子が言った。
「今回は無理だけど、こんど大島クルージングするときは、大島にヨットを置いておいて、東海汽船で利島に渡ってみようか」
「それも、楽しそうだね」
ラッコのメンバーたちは、船上で笑顔になっていた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。