この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第49回
斎藤智
これから出航なので、隆は、しっかりと航海計器のチェックをしていた。
洋子は、まだ航海計器の使い方が、よくわからなかったが、隆のチェックしているのを見ながら、操作方法を覚えていた。
洋子は、卒業した学校は文系だったし、特に理系で機械に強いというわけではなかった。でも、会社でOLをしていて、パソコン関係の操作方法に関しては、わりかし得意な方だった。
「操作方法が、ちょっとパソコンとか携帯っぽいよね」
「基本は同じだよ。同じ電子機器だからね」
隆にそう言われて、改めて航海計器のボタンとかを見直してみると、ファンクションキーの位置とか、かなり普段、会社で使っているパソコンや携帯電話と類似しているところが多かった。
しばらく、あっちこっちのボタンをカチャカチャといじっていると操作に慣れてきてしまった。
「うわ、すごい!洋子ちゃん、もうGPSの使い方をマスターしちゃったの」
麻美が、手慣れた様子で航海計器のボタンを触っている洋子を見て、感嘆の声をあげた。
もともと、あまり機械関係の操作が得意とはいえなかった麻美は、30代になって、ますます機械の操作にうとくなってきてしまっていた。
「最近、おばさんになってきちゃって、ますます最新の機械に疎くなってきてしまってね」
「それに老眼が始まって、パネルに表示される文字がチカチカと読みづらい…」
「え、老眼はさすがにまだ無いけど…機械は苦手で、うちでもよく弟にバカにされてる」
麻美は、隆に突っ込まれたことに一応反論しつつも、苦笑していた。
「よし、11時には出航しようか」
隆の一声で、ラッコの横浜マリーナ出航時間は、夜の11時に決まった。それまで、キャビンの中の荷物を、揺れても落ちないように、しっかり整頓したり、夜、寒くないように各自オイルスキンを着用して、ライジャケ、ハーネスを着けて準備した。
準備が整ったところで、岸壁のポンツーンを離れて、ラッコは夜の海へと走りだした。
「それでは、2グループに別れて順番にウォッチをしよう」
隆が言った。
隆と洋子とルリ子の三人のグループ、あと残りの麻美、佳代、雪の三人で別れることになった。
最初に、隆たち三人のグループがヨットの舵を取って操船する。朝の3時からは、今度は麻美たちのグループが操船を担当することになった。
操船を担当していないほうのグループは、その間にキャビンの中に入って就寝しておくのだった。
「それじゃ、私たちは先にお休みしていいのよね」
麻美は、隆に言って、佳代、雪の二人とキャビンの中に入った。
麻美と佳代は、船尾のオーナーズルームのベッドで一緒に寝る。雪は船首のフォアバースがいつもの自分の寝場所だった。
「走っているときの船首は、船が波を切る音でうるさいから、中央で寝た方がいいよ」
麻美の提案で、雪は、船首ではなく、ギャレー脇のダイニングスペースをベッドに模様替えして、そこで寝ることにした。
麻美は、雪の布団をロッカーから出してきて、雪に渡して、雪がちゃんと寝るのを確認してから、自分も船尾のベッドで就寝した。
「おやすみなさい」
夏の日の夜の東京湾を、ラッコは機帆走で快調に走っていた。
横浜マリーナのある港内を出ると、すぐにラッコはメインセイルを上げた。夏の日の海面は、風も穏やかで、波もなく鏡のようにフラットで凪いでいて、静かだった。
ラッコは、モーターセーラーとはいえ、ヨットなので、メインセイルだけでなく、前方のジブセイルも広げて、ちゃんとセイリングしたかった。
しかし、セイリングするには、あまりにも風が無さすぎだった。
そのため、前方のジブセイルは閉まったままにして、セイルはメインセイル一枚のみ広げて、エンジン、機走と併用して、機帆走で走らせていた。
「洋子。舵を代わってくれ」
隆は、舵を取っていたラッコのステアリングを、洋子に手渡した。
洋子は、隆から舵を引き継ぐと、ラッコの操船をした。
「1時間おきに交代して舵を取ろう。俺はもう1時間舵を取ったから、次の1時間は洋子の番、その次はルリ子だから」
隆に言われて、洋子の後は、自分がラッコの操船をするのかと、ルリ子は緊張していた。
「ほら、海を見てごらん。きれいだろう」
隆に言われて、ルリ子は夜の海面を見た。
遠くに見える陸地の明かりは光っているが、夜の海面は真っ暗だった。その真っ暗な中を、ときどき青白い光がキラリと光っていた。
「え、何あれ?」
「夜光虫だよ。バクテリアかなにかの一種らしいんだけど、夜になると、自分の体をキラキラと光らせるんだってさ」
ルリ子も、隆も、洋子までも皆、しばらく夜光虫の光の美しさに、しばしうっとりしていた。
「きれい」
操縦席のほうから洋子が思わずつぶやいた声を聞いて、隆は、操縦席のほうを振り返った。洋子が、両手でステアリングを握りながら、左舷の海面で光っている夜光虫に見とれていた。
「こらこら、操縦している人は、船の前方から目をそらして、わき見運転したらダメだろう」
隆が、洋子に注意した。
洋子は、あわてて前方をみて操船に集中していた。
「さあ、時間だよ」
1時間後、ルリ子は、隆に言われて、洋子と操船を代わった。
洋子は、ルリ子と操船を代わって、緊張の糸がほぐれた感じでホッとしていた。
「お疲れさま。これで夜光虫を落ち着いて見れるよ」
隆は、船内のギャレーで暖かい紅茶をカップに入れて、持って来ると洋子に渡した。
「ありがとう」
洋子は、紅茶を飲みながら、サイドデッキに腰かけて、海面の夜光虫の光を眺めていた。
それから1時間経って、麻美たちのグループが起きてくると、隆たちの三人は、それと交代して船内に入った。
ルリ子と洋子の二人は、ギャレー脇のダイニングのベッドで並んで眠りについた。隆は、船尾のオーナーズルームの広いダブルベッドで一人、大の字になって寝転んだ。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。