この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第187回
斎藤智
隆たちラッコのメンバーは、まんぷくになって艇庫の軒下で、のんびりおしゃべりしていた。
といっても、麻美とルリ子、美幸は、肉汁屋さんがあるので、肉汁コーナーに残っていた。
「うまかったよね」
隆は、口の中に挟まった肉片を取りながら言った。
「本当、美味しかった」
「ラッコで走って、なんとか一度ぐらいはレースで優勝したいよね」
雪は、今日のレースで走ったことを思い出しながら話した。
「それじゃ、来年のゴールデンウィークは、また熱海に行くか?」
隆が雪に聞いた。
「え、 あの熱海レースで、今度はラッコがエンジンをぶっ放すの?」
洋子が隆に言って、皆は大笑いになった。
「お、隆!」
皆が、軒下で話していると、隆が誰かに呼ばれた。
その声のする方向に隆が振り向くと、
「あ、堤下さん!」
隆は、呼ばれた男性の顔を見て叫んだ。
「今日のレースで、けっこう頑張って走っていたんだって」
「え、それほどでもないですよ」
「そうなのか。望月さんからレーススタート直後は、ラッコは上位を走っていたって聞いたよ」
「そうみたいですけど…」
隆は、舵を握っていた洋子の方をチラッと見つつ答えた。
「あの通りのモーターセーラーですから、だんだん皆に追いつかれて、ゴールする時には、いつもの最下位近くですよ」
「そうか。それはモータ-セーラーは仕方ないよな」
堤下さんは言った。
「あのう、この人たちが、うちのラッコの現クルーです」
隆は、自分の周りにいる皆を、堤下さんに紹介した。
「あ、はじめまして。ラッコのクルーは、きれいな女性ばかりだね」
堤下さんにきれいと言われて、皆はちょっと嬉しそうに微笑んでいた。
「堤下さん…」
雪は、隆に聞いた。
「そうなんだよ。堤下さんは、俺が初めてクルーザーにクルーでずっと乗っていたオーナーさん。いわば、俺のセイリングクルーザーの恩師」
隆は、雪たちに説明した。
「よろしくお願いします」
「今は、堤下さんのヨットは、50フィートの大きなヨットになってしまったけど、当時、俺が乗っていた頃は、30フィートのヨットに乗っていたんだよ」
隆は言った。
隆の大先輩
麻美は、肉汁のコーナーで肉汁作りに忙しく働いていた。
「うちのヨット、見てみるか?」
堤下さんが、雪に言ったので、皆で堤下さんのヨットを見に行くことになった。
「麻美は?」
隆は、麻美たちも誘おうかと思ったが、
「あっちは、肉汁で忙しそうだから置いていこうか」
麻美とルリ子、美幸の三人は、肉汁屋さんに置いていくことにした。
堤下さんのヨットも、横浜マリーナの敷地内に陸上保管されている。
だが、全長が50フィートもあるので、収まる艇庫がなく、艇体がむき出しのまま、横浜マリーナの隅に置かれていた。
「このヨット、大きいから気になっていたんだ」
雪は、隆に言った。
サイズが大きなヨットなので、置いてあるだけで、横浜マリーナのほかのヨットよりも存在感があり目立っていた。
「いつも、ここに置いてあるだけだから、このヨットって動かない飾ってあるだけのヨットだと思っていた」
香織がつぶやいた。
「あは。本当は、俺も毎週出したいんだけどね。仕事が忙しくてぜんぜん出せないんだよ」
堤下さんは苦笑していた。
堤下さんは、この50フィートのヨットを4人のオーナーで共同で所有していた。
4人で所有しているといっても、うち2人は、所有しているというだけでほとんどヨットには乗りに来ない、ヨットを持っているだけのオーナーだ。
実質は、堤下さんと丸尾さんという二人が乗っていた。
丸尾さんも、大手電設会社の役員さんに昇格してからは、平日も週末もほとんど会社に行っていて、ヨットに乗りに来れなくなってしまっていた。
役員に昇格するまでは、よく横浜マリーナに乗りに来ていて、隆とも一緒にヨットでセーリングしていたのだったが。
堤下さんは、横浜マリーナの近所の商店街で、自分のお店と自宅が一緒の小さな商店を営む自営業だった。
父親が、その商店を営んでおり、それを継いでいた堤下さんは、学生の頃から横浜マリーナの近くに住んでいるため、毎週のように横浜マリーナには来ていた。
学校を卒業後、父親のお店に勤めたときも、お店は商店なので日曜も営業しているのだったが、父親に、自分はヨットに乗るのを条件に店を継いだのだからと、日曜だけはお休みもらって、横浜マリーナでヨットに乗っていた。
その頃、堤下さんが乗っていたヨットは、30フィートのレース艇で、レースでは、暁といつも競い合っている速いヨットだった。
そのヨットに、隆はクルーとして乗っていたのだった。
その後、30フィートのレース艇では、船内もせまく、伊豆大島などクルージングに行くには、快適でないということで、4人共同で50フィートのヨットに買い替えたのだった。
横浜マリーナから伊豆大島などに、もっと頻繁に手軽にクルージングに行くのだということで買い替えたヨットだったが、その頃から丸尾さんが役員に昇格して、あまりヨットに乗りに来れなくなった。
ちょうどその頃に、堤下さんも父親からお店を完全に引き継いだ。
父親が中心でやっていた頃は、自分のわがままで、日曜はヨットに乗ることできたが、父親が引退して自分が店の中心になると、日曜に度々お店を抜け出せなくなってしまった。
ヨットが50フィートと大きく、出すときも何人か揃わないと一人では、出しづらいヨットということもあって、あまり出航できなくなってしまったのだった。
とはいっても、お店は横浜マリーナの近所ということで、堤下自身は、ヨットは出さなくても、お店の合間に平日、休日かかわらずに、しょっちゅう横浜マリーナには、遊びに来ていた。
隆は、洋子とおしゃべりしたりすることも多く、おとなしいタイプの男性だったが、それとは逆に、堤下さんは、体育会系というか男っぽい性格だった。
「乗れる時あったら、ラッコの皆で、このヨットを出して乗ってもいいぞ」
堤下さんは言った。
体育会系で、男っぽい性格の堤下さんに、自分もさばさばして男っぽい雪は、すっかり意気投合していた。
「やっぱ広いね。快適そう」
堤下さんのヨットを見せてもらって、船内のキャビンや内装に感動している隆や洋子たちだったが、
「大きなウインチ!マストも太いんですね」
雪は、堤下さんのヨットのデッキ上の艤装品に興味を持って、堤下さんにいろいろとヨットの艤装について質問しているのだった。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。