この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第182回
斎藤智
横浜マリーナのショッピングスクエアの中には、ヨットマンやボートマンのためのマリンショップもあった。
だが、横浜マリーナのマリンショップは、あまりに近すぎるせいか、隆たちが利用することは、あまりなかった。
「ねえ、今夜あたりにでも行ってみない?」
麻美は、会社でお昼ごはんを食べながら、隆に言った。
麻美は、いつも会社では、お昼ごはんを社長室で食べている。
社長の隆も一緒だった。
お昼ごはんは、ここ最近は、いつも麻美が隆の分のお弁当も作って来て一緒に社長室で食べていることが多かった。
前は、麻美は、自分の分のお弁当しか持ってきていなかったのだが、隆がお昼ごはんとかいって、コンビニで買ってきたお菓子だとか、カップ麺ばかり食べているのをみて、あまりにも隆の食事メニューがひどいので、二人分のお弁当を持ってくるようになったのだった。
隆は、社員は会社の財産だとか言って、オフィスビルの1階に、社員の健康を気遣ったオーガニック料理の立派な社員食堂を作っていた。
にも関わらず、自分はこっちのほうが好きだからとコンビニのお菓子などを食べていたのだった。
「ふーん。麻美の家の近くに、こんなお店が出来たんだ」
隆は、麻美から見せられたお店のチラシを眺めながら言った。
そのお店は、ヨット用のウェアを中心に販売するマリンショップだった。
「ちょうど、私のいつもヨットで着ている雨合羽が水漏れひどいから、新しいの買いたかったの」
麻美は言った。
「行ってくれば。俺は別にいらないから、まっすぐ家に帰るよ」
隆は返事した。
「なんでよ。私じゃ、どのウェアが良いかよくわからないから、一緒に来て選ぶの手伝ってよ。ほら、選び終わったら、そのまま、うちに来て、夕食をご馳走するからさ」
そんなわけで、隆と麻美は、会社が終わると、そのまま東京の麻美の家のそばのマリンショップにやって来た。
マリンショップといっても、店内には、ヨット用品はほとんど置いていなかった。置いてあるのは、マリン風の洋服ばかりだった。
「これ、おしゃれじゃない?」
ちょうどヨットの両色灯みたいに、左右が緑と赤の雨合羽が置いてあった。
「麻美は、背が高いから、そういう濃い色のものを着ると、男っぽくなってしまうよ」
隆は、そう言って、赤い色の雨合羽を手にとって、麻美の体にあてた。
「これ?」
麻美は、隆から渡された雨合羽を体にあてながら、鏡を覗き込んだ。
「こういう赤って、隆のほうが、なで肩で可愛らしいから似合うのよね」
麻美は、赤い雨合羽を隆の体にあててみた。
「ほら、やっぱ私は、紺とか濃い色のほうがしっくりくると思わない?」
麻美は、紺の雨合羽を自分の体に当てながら言った。
結局、真っ赤なポルシェ色の雨合羽は、隆用に購入して、麻美は、左右が緑と赤の雨合羽にした。
二人は、マリンショップを出ると、麻美の家に向かった。
麻美は、家に帰ると買ったばかりの雨合羽を着て、お母さんに見せた。
「へえ、良いじゃない」
お母さんは、麻美の新しい雨合羽には、さして興味無さそうに答えた。
「それで、こっちが隆の雨合羽なの」
麻美は、隆にも買ったばかりの真っ赤な雨合羽を着させた。
「あら、素敵。ちょっと丈が長いかしら?あ、そんなでもないか」
隆が試着している姿を見て、お母さんは、丈の長さをずらしたり、下に着ているセーターの裾を直したりしていた。
あきらかに自分の娘の麻美が試着したときよりも、隆が試着したときのほうに興味を持っていた。
そんな母親の姿を、麻美は苦笑しながら見ていた。
「隆君、今夜は夕食を食べていくでしょう?今晩は泊っていくでしょう?明日の朝、会社はここから出勤すればいいんだから」
麻美のお母さんは、隆に夢中だった。
「麻美。あんたも夕食だから、その買ったばかりの新しい雨合羽は、早く脱いできなさい」
お母さんは、隆のことをダイニングテーブルに案内しながら、麻美に言った。
麻美は、一人自分の部屋に行って、雨合羽を脱いで来た。
子どもヨット教室
横浜マリーナでは、大人だけでなく子どものためのクルージングヨット教室もやっている。
雪や洋子、佳代などラッコのクルーは、もともと去年の横浜マリーナのヨット教室に参加して、ラッコのメンバーになったクルーだった。
香織は、今年の横浜マリーナのヨット教室で、ラッコに配艇されたまだ現役のクルージングヨット教室生だった。
美幸も、今年の横浜マリーナのヨット教室に参加していて、マリオネットに配艇された生徒だった。
彼女たちが参加したのは、18才以上の大人のために横浜マリーナが開催しているヨット教室だ。
そのヨット教室とは、別に子どものためのヨット教室も横浜マリーナでは、開催していた。
こちらのヨット教室は、大人のヨット教室のように、特に公には生徒の募集はしていない。
子どもヨット教室の始まりは、横浜マリーナにヨットを保管していたオーナーさんが自分の子どもにヨットの乗り方を教えたいということだった。
それから、そのオーナーさんは、横浜マリーナにOPという一人乗り用のディンギーを3艇購入して、横浜マリーナに寄贈した。
その3艇のOPを、横浜マリーナにヨットを保管しているオーナーさんの中で、小学生の子どもがいるオーナーさんが、自分の子どもを横浜マリーナに連れてきたときに、受付で申し込みをして借りると、マリーナ内の海域でぐるぐると乗り回していた。
最初は、いわゆるレンタルヨットだった。
それが、利用者が増えてくるに従って、子どもたちのお父さんの中で、わりかしヨットに詳しいお父さんが、OPに乗っている子どもたち皆に、いろいろと乗り方を指導するようになっていた。
横浜マリーナには、片岡さんという国産のヤマハ28に乗っているオーナーさんがいた。
片岡さんには、小学校4年生になる男の子がいた。
片岡さんは、隆のように毎週ヨットに乗りに来るヨット好きだった。
その片岡さんは、息子が生まれてからは、息子のことも幼稚園に入る前から、いつもヨットに連れてくるようになっていた。息子のほうは、お父さんの趣味にいやいや付き合っている感じではあった。
そんな息子が、小学校高学年に入って、自分でもヨットに乗ることに興味を持つようになってきた。
それをきっかけに、片岡さんは、横浜マリーナのOPをレンタルして息子を乗せるようになった。
息子がマリーナの港内でOPに乗って、それを片岡さんがポンツーンから、もっとセイルを引け。舵を押せ。などと指導していた。
片岡さんは、はじめはポンツーンから自分の息子にだけ指導していたのだったが、ほかの子どもでOPを借りて乗っている子も現れると、その子にまでヨットを指導するようになっていた。
自分の息子とその子が一緒にヨットに乗っていると、お互いにだんだん仲良くなって友達になっていた。
横浜マリーナの港内には、丸い円形の人工の島があった。
その島の中央は、丸く盛りあがっていて、花壇になっていた。
片岡さんの息子は、OPに乗る時、その丸い島をぐるぐると回って走るようになっていた。
息子とお友達になった子も、その円形の島を回るようになっていた。
2艇は、円形の島をぐるぐる回りながら、どちらが風をうまく受けて早く回れるか競争するようになっていた。
最初は、2艇だけだったのが、もう1艇を借りて乗っていた女の子も、その競争、レースに加わるようになっていた。
3艇の子どもたちが楽しそうにヨットに乗っているのを見て、ほかの横浜マリーナに来ていた子どもたちもOPに乗りたがった。
それからは、3艇のOPディンギーを子どもたち皆で交代で乗るようになっていた。
「もう少しOPの数を増やしてくれ」
子どもを持つ会員からの要望で、横浜マリーナでは、さらに10艇ほどOPを買い増した。
それからは、OPのレンタルをやめて、13艇のOPディンギーを使って、子どもヨット教室を開催するようになっていた。
「片岡先生、どっちにコースを取ったら早いですか?」
「風下を通るよりも、風上側を走った方がいいぞ」
一番熱心に子どもたちの指導をしていた片岡さんが、自然と子どもヨット教室の先生になり、やがてヨット教室の園長になっていた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。