この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第174回
斎藤智
スピンネーカーを下ろすとジブを上げてから、目の前の最後のブイを回った。 このブイを回り終えると、後はまっすぐゴールを目指すだけだ。
「あとはゴールするだけだな」
隆は、雪に言った。
後は、まっすぐゴールするだけとはいっても、風向きがあるので文字通り直進では帰れない。
ヨットは風に向かって真っ直ぐには走れないのだ。斜めに、斜めにジグザグと何度かタックを繰り返しながら、ゴールを目指すことになる。
「もう残りのコースは、スピン無しでジブだけで走れるから楽だな」
隆が言ったのを聞いて、お腹が空いてきていた洋子はお腹の音を鳴らした。
「お腹が空いてきたな」
洋子のお腹の音を聞いて、隆は笑った。
「今まで緊張していたから、緊張が解けたら急にお腹が空いた」
それまで緊張してセイルトリムしていた洋子は、笑顔になって答えた。
ラッコの艇上は、レースのピリピリしていた雰囲気から、やっといつもの陽気な雰囲気に戻って来た。
「お昼にしようか」
の声で、麻美はキャビンに入ると、お弁当の入ったバスケットを持って出てきた。
バスケットの中から出てきたおにぎりを、皆は口に頬張っていた。
洋子は、大好きな麻美が焼いた卵焼きもしっかり食べていた。
食事中も、レース中なので、隆はステアリングを握ったまま食べている。
横にいた洋子が、おにぎりやおかずを取って食べさせていた。
「もう一個、おにぎり食べようかな」
食事が終わって、バスケットを片付けていた麻美に、隆は言った。
麻美は、チラッと隆のほうを見ると、
「おにぎり上げようかな…どうしようかな?さっきレース中に、隆に私、なんか怒られたものな」
ちょっと笑顔でつぶやいてみせた。
「え」
隆は、絶句していた。
「へへ、麻美ちゃんの逆襲」
ルリ子が笑った。
麻美は、隆がさっきはごめんね、とか言ってくれるかなと思っていたのだが、隆は罰の悪そうな顔をしているだけだった。
「はい、おにぎり」
そんな隆の目の前に、麻美はバスケットから出したおにぎりを手渡した。
「ありがとう」
隆は、麻美からもらったおにぎりを頬張った。そして小さな声で、麻美に、ごめんねと謝ったのだった。
「おにぎりだけじゃ足りないでしょう。あとで横浜マリーナに戻ったら、どこかレストランに改めてお昼を食べに行こうね」
そんな隆の様子を見ながら、麻美は声をかけた。
「暁、一番!」
前方を見ていた雪は、暁がどのヨットよりも先にゴールするのを見て叫んだ。
「さすが、暁さんだね」
暁がゴールしてから、5分ぐらいして、2位以下のほかのヨットも次々とゴールしていた。
暁がゴールしてから30分ぐらい経ってから、ラッコもようやくゴールした。
「マリオネットには勝てたね」
洋子が後ろを振り返って、マリオネットがまだ走っているのを確認して言った。
「マリオネットに負けたら、俺もうショックでヨットに乗りに来ないよ」
隆は、洋子に言った。雪も隆に頷いていた。
ラッコは、そのまま横浜マリーナに戻ると、横浜マリーナスタッフに大型クレーンで陸上に上げてもらった。
「お疲れ!」
隆は、ヨットを降りると皆に言った。
「今日は、本当に疲れたわね」
麻美が隆に言った。
「麻美、別に何もやっていないじゃん」
隆が答えた。
「もう…。まだ、そういうこと言う?」
麻美は隆のことを睨んだ。
「これ、レース中に怒ったお返しね」
そういって麻美は、隆のことを軽くげんこつでコツンとしてみせた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。