船での生活

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第69回

斎藤智

隆たちは、世界を巡っているそのヨットの船内を見せてもらっていた。

キャビンのクッションの上には、茶色いロバのぬいぐるみが置かれていた。

ロバは、南太平洋の小さな島のお土産物屋さんで売っていたものだそうだ。ロバは、その島では、実際に生活に密着した大切なパートナーで、とても大切にされていたそうだ。

そういった世界のあっちこっちで出会った人々との思い出の詰まった物が、船内のあちらこちらに飾られていた。

「このワンピース、可愛いでしょう」

麻美たちラッコの女性クルーは、女同士ということで、奥さんにクローゼットの中の洋服を見せてもらっていた。

洋服だけでなく、世界の珍しい下着まで見せてもらっていた。

「うわ、生地がこれだけじゃ見えちゃうよね」

船尾のキャビンからは、女性たちのきゃきゃという声が聞こえていた。

隆は、オーナーに洋子と一緒に船の前のキャビンに置かれていた雑貨を紹介してもらっていた。

洋子は、フォアキャビンの脇に付いているトイレルームの扉が少し開いていたので、中を覗きこむと、トイレの奥に小さなシャワールームがあって、バスタオルが掛けられていた。

洗面台には、二人分の歯ブラシと歯磨きがコップに刺さっていた。

毎日、この船で生活しているという生活感が、船内のいたるところに溢れていた。

ギャレーのコンロの上には、今朝の朝食に食べたのか、フライパンの上にベーコンと目玉焼きの残りが入っていた。

「もう、このヨットが自分の我が家なんですね」

「そう、10年近くこのヨットで生活していますから」

洋子に聞かれて、オーナーは、嬉しそうに豪快に笑っていた。

「何を見せてもらっているの?」

隆が、入り口から船尾キャビンの中を覗きながら、麻美に聞いた。

「隆は、覗いちゃだめよ」

麻美は、あわてて下着の入っているキャビネットを閉じながら言った。

「今夜は、横浜マリーナに停泊するんですか?」

「ええ。今日から三日ほど、ここにお世話になろうと思っています。その後は、東北のほうの港を周ってみようかなって思っています」

オーナーは、世界の港を自由気ままに巡っているのだった。

隆は、そんなオーナーが羨ましかった。

イメージクルージング

隆は、その日の夜は興奮してなかなか眠れなかった。

昼間、横浜マリーナで出会ったヨットで夫婦で自由気ままな世界一周をしていたおじさん、彼から聞いたクルージング中の話を思い出していたのだ。

ヨーロッパやアフリカの国を旅したときの話も良かったが、隆としては、南の島を巡ったときの話に強く感銘していた。

航海中に、釣りをしたら大きな魚が何匹もかかり、夫婦二人では、食べきれずに、立ち寄った小さな島の市場に持っていたら、現地住民の畑で育てた野菜と物々交換してもらえた話、船に積んでいた日本製のラジオを現地の人にすごく欲しがられて、お世話になったお礼にプレゼントしたら、次の日の朝に、食べきれないぐらいたくさんの野菜やフルーツを台車いっぱいお返ししてもらえた話、どれも、隆にとって感銘する話ばかりだった。

「いつか、俺も行ってみたいな」

隆は、自分のベッドで横になりながら、思わず独り言をつぶやいた。

「俺だって、いつか、あのおじさんと同じように世界巡航に行けるよな。いや、ぜったいに行ってやる!」

隆は、自分がクルージングで世界を巡っているところを、ベッドの中で想像していた。

今、所有しているラッコでも、世界を巡ることできるかな。

それとも、もう少し大きくて居住性の良いロングクルージング用のヨットに買い替えないと無理かな。

いや、そんなことないよな。

今のラッコも、2本マストのケッチでロングキールのヨットなんだし、ロングクルージングにだって十分に行けるよな。

そのために、クラブレースになんか勝てなくても良いから、クルージングができるヨットとして、ナウティキャットを選択したんだから。

隆は、昼間、見せてもらったおじさんのヨットを思いだしながら、ラッコのギャレーにも、おじさんのヨットに備え付けられていた水切り用のタッパーを購入しておこうとか、ラッコのヨットで、世界に出航するのに便利なクルージンググッズをいろいろ考えていた。

それを考えていたら、明日は会社で仕事だというのに、深夜すぎまでずっとベッドの中で起きてしまっていた。

「そろそろ、寝よう」

隆は、明日は会社だったということを思い出して、興奮して眠れない自分を寝かせようとしていた。

「そういえば、あのおじさんだって、結婚して奥さんがいたから、寂しくなく世界を巡ってこれたんだろうな。俺も誰か結婚する相手を見つけないといけないかな…」

隆は、クルージングのことを想像していたはずなのに、いつの間にか、自分の恋のことを考えてしまっていた。

俺としては、どんな彼女が欲しいのかな、やっぱり、美人の女の子が良いかな?いやいや、美人でなくても良いから、優しくて性格の良い子がいいよな。

それでヨットが好きで、俺と一緒にヨットで世界を旅してくれる女の子でないとだめだ。

いろいろなテレビで見る女性タレントが次々に、隆の頭の中に浮かんできたが、やがてそのタレントの顔が消えていき、麻美の姿が浮かんでくるようになった。

ほかに好きな女性タレントを思い浮かべるのだが、服装は、確かにその女性タレントのものなのだが、顔だけは、麻美の顔しか思い浮かばなくなっていた。

「なんで、麻美なんだよ」

隆は、ベッドの中で一人思わず苦笑していた。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。