出航しないクルージング

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第124回

斎藤智

その日の日曜日、いつものように隆たちは、横浜マリーナに集合していた。

「寒いね!」

12月、雪が降ってもおかしくないくらいに、横浜は寒かった。

「パンツの下に、タイツまで履いてきちゃったよ」

ルリ子が、ずぼんの下を少しめくって見せながら言った。

「暖かい!」

横浜マリーナのクラブハウスの中に入ると、麻美が思わず叫んでしまった。

クラブハウスの中は、暖房が効いていて、とても暖かくなっていた。

クラブハウスを入った目の前に、受付があって、その脇の広くなった所に、入館者が皆、くつろげるようにと、ソファが丸く置かれていた。

ソファの中央には、山小屋の暖炉風の銀色のストーブが置かれていた。隆たちは、そのソファに座って暖をとっていた。

「ストーブって暖かくていいね。うちも、ストーブ置こうかな」

「麻美の家のリビング、もうストーブ置けるところないじゃん」

「昨日、ニトリで見た小さめのストーブなら、うちでも置けるでしょう」

「ああ、あれなら置けるかもな」

隆と麻美は、昨日行ったニトリの話をしていた。

洋子や佳代たちも、先週会社で仕事中にあったことを話している。

「なんか、私たち、さっきからずっとここにいるよね」

雪が言った。

外は寒いのに、特にヨットで出航したら海の上は、もっと寒そうだ。

クラブハウスの中は、ストーブが焚かれていて暖かい。

隆たちは、ソファに座ったまま、なかなか立ち上がれなくなっていた。

「ここにずっといても、仕方ないからとりあえずヨットに行こうか」

皆は、やっと重い腰を上げた。

クラブハウスを出て、ヨットの置いてある艇庫に移動した。

「暖かいな」

「暖房とか何も付いていないけど、艇庫の中に入ると、室内だけに外より暖かいね」

ヨットの脇に立てかけられた脚立のスロープを上がって、皆はヨットの上に上がった。

「早くぅ、早く」

麻美が、キャビンのドアの鍵を開けるとすぐに隆が中に入った。

ほかの皆も、キャビンの中に入った。

「暖かいな」

キャビンのサロンのソファに腰掛けると、皆が口々に述べた。

せっかく、クラブハウスからヨットに移動してきたのに、ヨットの出航準備をするわけではなく、キャビンの中のサロンで、のんびりおしゃべりしている。

「暖かい紅茶でも入れようか」

「うん」

麻美が、ギャレーのコンロでお湯を沸かして、お茶を入れた。

お湯を沸かしたおかげで、お湯の湯気がキャビンの中に充満して、狭いヨットのキャビンの中は、一気に暖かくなった。

「今日は、船は出さないの?」

麻美が、隆に聞いた。

「寒いけど、出したい?」

隆が、逆に麻美に聞き返した。

「別に海に出さなくても、ここでのんびり過ごすのも良いじゃない」

麻美が答えた。

ほかの皆も、麻美の答えに頷いていた。

艇庫内クルージング

望月さんが、ラッコの置いてある艇庫の前を通り過ぎると中から大きな笑い声が聞こえてきた。

「おや、何をしているの?」

望月さんは、ラッコの艇庫の中に入ると、灯りのついているキャビンを見上げて声をかけた。

「寒いので、今日はここでクルージングしています!」

キャビンの窓から顔を出して、ルリ子が答えた。

望月さんは、ラッコの艇体の脇に取り付けられている階段式の脚立を登って、ラッコのキャビンの中に入った。

キャビンの中では、クルーたちがおやつをつまみながら楽しんでいた。

「皆、もう寒いものだからって、船を出さずにいきなりこの船内で宴会始めてしまっているんですよ」

隆が自分のクルーたちのことを嘆いてみせた。

「寒くても、横浜マリーナまでちゃんと来るだけでも、お宅のクルーは偉いじゃない。うちなんか、寒いものだから、横浜マリーナにすら来ないよ」

望月さんが答えた。

「望月さんは、グラス、何にしますか?」

麻美が、望月さんの分のグラスを手に取りながら、何を飲むか聞いた。

「それじゃ、ビールにしますか」

麻美が、望月さんのグラスにビールを注いだ。

「ありがとう。俺にビールを飲ますってことは、暁のエンジンのエルボーを交換に来たんだけど、その作業をもうしなくても良いってことかな」

笑顔でビールを麻美から受け取りながら、望月さんは答えた。

「エルボーの交換ですか?」

「ああ。先々週出したときにやってしまったみたいで、さっきまで一人で必死になって交換してきたよ」

「交換してきた?交換してきたってことは、もう終わっているんですか」

「ああ、やっとなんとか一人でも終わらせたよ」

「なんだ。それじゃ、もう終わっているんだったら、ビール飲んでも大丈夫じゃないですか」

そういって、隆は、望月さんにお代わりのビールをすすめた。

「お昼、鍋にするよ」

洋子と一緒に、野菜を切りながら、麻美が隆に言った。

「どうぞ。材料はある?無ければ、俺がスーパーまで走って買ってこようか?」

「大丈夫。お肉はあるし、先週のお鍋の残りものもまだ船に残っているのよ」

ギャレーでお昼の準備を始めた。

「暑くなってきたから、タイツ脱いできた」

船のトイレから出てきたルリ子が言った。

狭いキャビンの中で、皆揃ってずっといたので、キャビンの中はかなり暖かくなってきていた。

「そういえば、トイレの水が吸い込まなくなっていたんだけど…」

「そうなの。それじゃ、隆に言って直してもらって」

麻美がルリ子に答えた。

「トイレの水が出ないの」

ルリ子が言って、隆は席を立ってトイレに行った。

「水?水って、もしかしてルリ子、タイツ脱ぐだけでなくて、中でトイレも使ったの?」

隆は、仰天してルリ子に聞いた。

「うん」

ルリ子は、隆がなんでそんなことを聞くだろうって不思議に思いながら答えた。

「あのさ、船のトイレって、海の水を吸い上げて、流しているんだから、上架している船のトイレで流しても、水なんか吸い上げるわけないじゃん」

隆に言われて、ルリ子は、あっと気づいた。

「もしかして、私のおしっこって…」

「当然、船の底から艇庫の床に流れ出ているはずだよ」

隆が苦笑いしていた。

「うわ、恥ずかしい!後で、艇庫の床を水洗いしておくね」

ルリ子は、少し照れながら、隆に言った。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。