ゴール!!

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第95回

斎藤智

結局、マリオネットは、前方にいた殆どのクルージング艇を追い抜いてしまった。

「風下のブイを周って、ゴールに戻るぞ」

隆が、船首の佳代に言った。

風下のブイを周る前に、今上がっているスピンセイルを下ろさなければならない。

スピンセイルを下ろす前には、その代わりに閉まってあったジブセイルをもう一度出さなければならない。

佳代は大忙しだった。

暁のような本当のレース専門艇ならば、風下のブイを周るのと同時に、スピンセイルも下ろして、なおかつジブセイルを出してセイルを張るまで、全て同時にやってしまう。

しかしながら、マリオネットやラッコのような普段は、クルージングしていて、たまに所属するヨットクラブのクラブレースに参加するだけのにわかレーサーは、そんな器用なことはできない。

そこで、まずはしっかりスピンセイルを下ろして、それからジブセイルを出す。

その作業が終わってから、改めて風下のブイを周っているのだ。

本当は、暁のようにすべて同時で作業できるほうが、風下のブイを周るぎりぎりまで大きなスピンセイルを張ったまま、セイリングできるので、セイリングは速く走れるのだった。

が、隆たちのようなにわかレーサーが、そんな芸当をすると、却ってスピンセイルとジブセイルが絡まってしまったりして、遅くなってしまうこともあるのだ。

急がば回れだ。

ここは、慎重にいこう。

「ゆっくりでいいから、順番に慎重に、まずはスピンから下ろしな」

急いで、スピンセイルを下ろそうとしている佳代に、隆は助言した。

佳代は、何度かラッコに乗っているときにスピンを上げたり、下げたりしているが、坂井さんや松尾さんは、あまりスピンセイルの経験がない。

佳代の操作に、二人がついていけなくなってしまう。

「はーい」

隆に言われて、佳代も二人の作業スピードにあわせて、少しゆっくり目に作業した。

無事、スピンも下ろし終わって、風下のブイを周った。

後は、ラッコ、本部艇の待っているゴールラインを目指して戻るだけだ。

上りのレグ、ゴールラインまでの航路は、風に向かって走って行くので、何回かタック、タックを繰り返さなければならないが、スピンセイルほどの忙しい作業はない。

佳代も少し落ち着いた感じで、坂井さんの奥さんと並んで、風上側のサイドデッキに外に向かって足を投げ出す形で腰かけていた。

このまま、ゴールできれば、スピンのときに追い抜いたヨットは、かなり後ろのほうに差をつけてあったので、かなり上位でゴールできそうだ。

「お、暁さんがゴールしたね」

隆は、舵を取りながら、サイドデッキの佳代に伝えた。

はるか前方を走っていた暁が、ラッコの待つゴールラインを越えてゴールしたようだった。

それに続いて、何艇かのレース艇がゴールしていた。

最後の逆転

マリオネットは、もう既に12回目のタックを繰り返していた。

「こんなに一度にタックをしたことなんか、マリオネット史上一度もないな」

オーナーの中野さんが、おもわず驚いてしまったぐらいに、何度もタックをしていた。

まだ若い松尾さんは、ジブの入れ換えも難なく繰り返していたが、坂井さんのほうは、途中で疲れてきてしまっていた。

「佳代と交代します?」

舵を握っている隆が、坂井さんに声をかけた。

大丈夫です、と言いながら、しばらくは頑張っていた坂井さんだったが、ジブの入れ換えスピードが徐々に落ちてきていた。

「それじゃ、お願いしようかな」

坂井さんは、そう言って、途中から佳代と交代した。

「彼女は、女の子なのに元気あってすごいな」

「そりゃそうよ。あんたよりも、ずっと若いんだから」

佳代が、スピンをさんざん操作した後だというのに、ぜんぜん疲れを感じさせずに、タックの度にジブセイルの入れ換えを素早くやっているのを見ながら、坂井さんは驚いていた。

奥さんのほうは、そんな坂井さんに、もう年なんだからと坂井さんの年齢のことをチャチャ入れていた。

「年齢というか、慣れですよ。タックやジャイブとか乗り慣れてくると、だいたいどこらへんで手を抜いたら良いのかが、感覚的にわかってきますから。そうすると、ずっと緊張していなくても大丈夫になって、タックを繰り返しても、疲れなくもなりますよ」

隆は、坂井さん夫婦に説明した。

「さあ、3分後に最後のタックをして、このままゴールしますか」

クルーたち皆のタック準備が整うと、隆は、舵を切って、タックをした。

マリオネットは、船体の方向を変えて、ゴールに向かって一直線に走っていた。

マリオネットとは、反対の方向から、もう一艇ヨットが、ゴールを目指して走っていた。

「ミートするかも…」

「こちらがスターボードだから、優先権はあるよ」

隆は、やって来るヨットに臆することなく直進していた。

ヨットレースの場合、船体の左側、ポートから風を受けているヨットよりも、船体の右側、スターボードから風を受けているヨットに優先権があった。

スターボードのヨットは、ポートのヨットに対して、一声「スターボード」と声をかけると、ポートのヨットは、スターボードのヨットを避けて走らなければならないのだった。

マリオネットとミートする直前で、そのヨットは、タックをした。

そして、ヨットは、マリオネットと同じ方向で走って、ゴールを目指して走り出した。

「もう少し、風上に出たいな」

「ジブシートを引くね」

隆に言われて、佳代は、メインとジブのセイルをいっぱいまで引きこんだ。

その後、佳代は、坂井さんの奥さんを誘って、一緒に風上側のサイドデッキに移動してヒールするのを抑えていた。

坂井さん、松尾さんも、佳代たちについて、サイドデッキに移動してヒールを抑える。

マリオネットは、ゴールまでずっと2艇で並んで走り続け、デッドヒートを繰り返していた。

殆ど同時にゴールしそうだ

ゴール直前で、隆は、舵をほんの少し風上に切った。

ほんのわずかだが、マリオネットの船首が数秒早くゴールラインを越えた。

ピーーー!

本部艇のラッコの上から、ルリ子がホイッスルを吹いた。

「どっち!?」

「マリオネット!」

隆がラッコのルリ子に聞くと、ルリ子から返事があった。

マリオネットが勝ったようだった。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。