この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第35回
斎藤智
マリオネットの中野さんは、今年、還暦の60歳を迎えていた。
マリオネットは、ラッコと同じ横浜マリーナに置いているヨットだった。ヨットの形も、ラッコと同じくモーターセーラー、デッキ上だけでなく船内にも操舵装置が付いているヨットだった。
ラッコは、フィンランド製のモーターセーラーだが、マリオネットは、日本のヨットデザイナーを代表する横山一郎氏設計の国産初の本格モーターセーラーだ。マリオネットが進水したのは、10年前の湘南だった。
中野さんが、ヨットを始めたのは50歳のとき、50の手習いで始めた。それまでは、山が好きで若いころからずっと登山をしていた。
そんな中野さんが、初めて乗ったヨットは、当時、隆がクルーで乗っていたヨットだった。
そのヨットのオーナーのお店の常連さんとしてゲストで乗りに来たのだった。海の上で、ヨットのキャビンで料理をしたり、寝泊まりしたりするところが、山にテントを張って、そこでアウトドア料理をしたり、寝泊まりするのとよく似ていて楽しいというのが、中野さんがヨットを始めたきっかけだった。
以来、隆の乗っていたヨットに2、3度乗りに来て、それから3ヶ月後に突然、34フィートのモーターセーラー、マリオネットを購入してしまったのだ。
都心で親の代からの歯医者を開業している、いわゆるお医者さんだからこそ、1000万円以上もするヨットをポンと購入できてしまったのだろう。
湘南に進水したマリオネットを、横浜まで持ってくる、廻航のときには、隆も廻航要員の一人として手伝いで乗っていた。
隆とマリオネットとの付き合いは、それ以来ずっと続いていた。
50の手習いでヨットを始めたばかりの中野さんのマリオネットで人手が足りないと、よく手伝いでマリオネットにも乗っていた。
隆がメインで乗っていたクルーザーのオーナーさんは、大学時代のヨット部からずっとヨットに乗り続けてきた大ベテランのヨットマンだったが、50の手習いで始めたばかりの中野さんのマリオネットは、中野さんも、隆をはじめとするほかのクルー達にとっても、毎週が試行錯誤のクルージングだった。
それでも大きな事故は一度も無かったが、港内で停泊しようと近寄った岸壁の側にあった杭に気づかず、船の横腹を磨ってしまったり、停泊しようと落としたアンカーをそのまま海の底に沈めてしまったり、と小さな事件は絶えなかった。
その都度、マリオネットの船体にも小さな傷が絶えなかった。
ほかの人から見たら、ただの傷だが、隆たちにとっては、その傷ひとつひとつが、あれはあそこの港に行った時に出来た傷など思い出があり、感慨深いものだった。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。