はじめてのヨットの上架

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第145回

斎藤智

香織は、初めて乗るヨットのキャビンの中ですっかりご馳走になってしまっていた。

香織が、キャビンのソファに腰掛けると、目の前のテーブルに次から次へと食べるものが出てきた。

「香織ちゃんは、コーヒー?紅茶?」

お茶のポットを手に持っている麻美に聞かれた。

「アイスクリーム食べようよ」

佳代が言って、ギャレーからアイスクリームとお皿を持ってきた。

「このスイーツも美味しいよ」

ルリ子が、ギャレーの冷蔵庫から出した有名店のスイーツを出した。

「ヨットでは、遠慮していると食べるもの無くなってしまうからね。出てくるものは、どんどん食べないとだめだぞ」

隆は、自分もテーブルに出てきたスイーツを食べながら、香織に言った。

「そうよ。食べないと、ほかの人にすぐ食べられちゃうよ」

麻美が、ルリ子と洋子のほうをちらっと見ながら、香織に言った。

ルリ子が、舌をぺろっと出して見せた。

おかげで、香織はお茶を飲みながら、いろいろなケーキを食べさせてもらってしまっていた。

「そろそろ、船を上げないと…」

「そうだな」

雪に言われて、隆は席を立って、キャビンから外に出た。

ほかの皆も、隆の後について外に出た。

「これからヨットを陸上に上げて片付けるのよ」

麻美は、香織に説明した。

「このポンツーンから一旦ヨットを出して、あそこにある大きなクレーンに乗せて、陸上にあげてもらうの」

隆がコクピットでエンジンをかける。

雪や洋子がポンツーンに下りて、結んであるロープを外す。

「出航OK!」

隆の声で、雪、洋子たちがロープを持ちながら、ポンツーンを蹴って、ヨットをポンツーンから離してから、ヨットに飛び移る。

ヨットは、ポンツーンを離れて、海に出た。

「今日は初めてだからいいけど、香織ちゃんも、そのうち、洋子ちゃんたちみたいに、ロープを外したりできるようになろうね」

麻美が香織の肩をたたきながら言った。

「呼んでいるよ」

舫いロープを片付けていた洋子が香織に言った。

香織が、洋子の指さしたコクピットのほうを見ると、隆がステアリングを握りながら手招きしている。

「なんか呼んでいるから行ってみよう」

麻美が言って、香織と一緒に後ろのコクピットに行った。

「やってみな」

横浜マリーナのスタッフが、クレーンを下ろしてラッコを陸に上げる準備ができるまでの間、海上で待機している。

その間に、隆は香織にヨットの舵を握らせてくれるらしい。

香織は、緊張しながらヨットの舵を握った。

「右に回すと右に、左へ回すと左に、ヨットは走るから」

隆に指導されながら、香織は必死に握っていた。

艇庫内保管

横浜マリーナのスタッフがクレーンをしっかり海に下ろし、船を引き揚げる準備が出来たようだ。

「なかなか、うまいじゃないか」

隆は、香織に言った。

最初は、緊張しながらの操船だった香織だが、だいぶヨットの操船にも慣れてきたようだった。

もともと、学生時代は、バスケットボール部でバスケをやっていて、香織は小さい頃からスポーツは、得意だった。

「クレーンの準備が出来たみたいだから、クレーンのところにヨットを入れようか」

隆が言った。

「私がですか?」

ステアリングを握りながら香織は、隆に聞いた。

少し、ヨットの操船に慣れてきたとはいえ、まだ今日初めてヨットに乗ったのだ。

さすがに狭いクレーンの通路の真ん中にうまくヨットを挿入させる自信まではなかった。

「大丈夫だよ。俺がエンジンのスロットルは握っているし、一緒にステアリングも持っているから」

隆も片手でステアリングを持ちながら答えた。

「ゆっくり、ゆっくりクレーンに近づいていけば大丈夫だからな」

隆に指示してもらいながら、香織はヨットをクレーンの中央に侵入させていく。

「雪。フォローしてやって」

雪、洋子たちは、隆に言われて、ヨットの両舷でクレーンに接触しないように船のことを支えている。

「香織ちゃんって、どこかでヨットに乗っていたことあるの?」

香織は、必死でステアリングを操作しながら、首を横に振っていた。

「ええ、でもうまいね」

「本当に、まっすぐにヨットが進んでいるよね」

雪が上手いというのを聞いて、麻美も香織のことをほめていた。

「彼女、なかなか操船がうまいよ」

隆も、麻美に言った。

「私が、一番最初に舵を握ったときよりも、ぜんぜん上手よね」

麻美は、隆に言った。

「麻美が、初めて握ったときは下手くそだったものな」

隆は、麻美に笑顔で言った。

ヨットは、クレーンの中にしっかり収まり、横浜マリーナのスタッフがそれを確認すると、クレーンの上昇スイッチを押して、クレーンはヨットを乗せたまま、陸上に上がってきた。

陸上と同じ高さまでヨットが上がってくると、皆は船を降りた。

「後は、ヨットはマリーナのスタッフに任せて、俺たちは船を降りるから」

隆は、香織に説明して、一緒にヨットを降りた。

船上に誰もいなくなったヨットは、横浜マリーナのスタッフによって、そのままクレーンで持ち上げられて、完全に陸上に上がった。

ヨットの丸い船底が、完全に皆の目の前に姿を現していた。

別の横浜マリーナのスタッフが、タイヤの付いた船台を持ってくると、その船台の上にヨットをクレーンから乗せ換えた。

船台の上に、ヨットを乗せ終わると、そのままスタッフが船台を引っ張って移動していく。

ヨットを船台に渡して、空になったクレーンは、クレーン置き場に帰ると、今まで出していた大きなエンジン音を停めて、静かになった。

船台に乗ったヨットは、そのまま横浜マリーナのスタッフに引っ張られて、ラッコ専用の艇庫に持って行かれた。

赤くペイントされた田舎の牛小屋のような艇庫の入り口を開ける。

横浜マリーナの陸上保管の船は、すべて艇庫の中に保管されている。

ボート用の艇庫だと、そのまま開いた入り口からボートを入れて、扉を閉めるだけだ。

ヨット用の艇庫の場合は、ヨットにはマストが付いているので、正面の入り口以外に、天井の細長い穴も展開してから、ヨットを艇庫の中に入れることになる。

天井の細長い穴に、ぴったしヨットのマストを入れながら、艇庫に収めるのだ。

ヨットの船体ぜんぶが艇庫に収まると、正面の入り口を閉める。

正面の入り口と連動していて、天井のマストが出ているところ以外は、すべて艇庫の中に収まってしまうのだった。

横浜マリーナの理事、スタッフと地元の工務店が協力して開発した横浜マリーナご自慢の艇庫だった。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。