エンジントラブル

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第230回

斎藤智

ラッコは、ぷかぷかと浮いていたマリオネットに横付けした。

「こんにちは」

隆が、マリオネットに声をかけた。

デッキには、美幸一人だけがステアリングを握っていた。

「中野さんは?」

隆は、美幸に声をかけた。

「中にいるの」

美幸の答えと同時に、マリオネットのハッチから中野さんが顔を出した。

「ああ、助かった」

中野さんの額からは、汗がいっぱい流れていた。

手は、油まみれだった。

「どうしました?」

隆は、雪たちにマリオネットの船体を押さえてもらっておいて、自分はマリオネットに乗り移った。

そのまま、マリオネットのキャビンに入った。

「ルリちゃん、何しているの?」

しばらくして隆が、キャビンから顔をだして、ルリ子に声をかけた。

「ルリちゃんが来てくれないと始まらないんだけど」

隆が言うと、

「はい」

ルリ子も、マリオネットに乗り移ってキャビンの中に入った。

洋子もマリオネットに乗り移った。

「美幸ちゃん、大丈夫?」

洋子は、キャビンには入らずに、後部デッキのステアリングを握っている美幸のところに行った。

「お願い、ステアリング」

美幸に言われて、洋子がマリオネットのステアリングを持った。

ステアリングを洋子に渡して、解放された美幸は、ほっとした表情だった。

「どうしたの?」

麻美は、マリオネットの船体がラッコから離れないように、船体を押さえながら、美幸に声をかけた。

「ずっと、中野さんとか皆、中でエンジンを見ているから、ずっと私がこれ持っていたんだもの」

美幸は、泣きそうな表情で、麻美に訴えた。

「それは、こわかったね」

麻美は、美幸に答えた。

本当は、美幸の頭を撫でてあげたかったのだが、マリオネットの船体を押さえているので、美幸の頭まで手が届かなかった。

「大丈夫だよ」

洋子が、麻美の代わりに、ステアリングを握っている手と反対の手で、美幸の頭を撫でていた。

いつも、普通にステアリングで舵は取っていたよね」

洋子が美幸に聞くと、

「そうなんだけど、風は無いし、エンジンは停まっているから、ゆらゆらしているだけで、まっすぐになってくれないんだもん」

「そうか、それは不安になるよね」

麻美が答えた。

「こんな海の真ん中だものね」

佳代が言った。

「良かった。皆、来てくれて」

美幸は、洋子の胸にもたれかかって、ずっと我慢してきた涙が思わず出て、泣いてしまった。

洋子は、そんな美幸を片手で抱きかかえて撫でてあげていた。

エンジン直った!?

「どうしたんですか?」

隆は、中野さんに状況を聞いた。

「いやぁ、エンジンが急に止まってしまってね。それまで何の問題も無く、横浜マリーナからこの辺りに来るまでは、順調に走っていたんだけどね」

「急にですよね。スポッと音がしたかと思うと、そのままキューンってエンジン停止してしまったんですよ」

いつも、もう長いこと中野さんと一緒にマリオネットに乗っている男性クルーが言った。

「とりあえずエンジンかけてみようか?」

隆は、ルリ子に聞いた。

ルリ子は頷いた。

「見ててな。かけてみるから」

隆は、ルリ子にエンジンの様子を見ててもらいながら、自分はバッテリーのスイッチを確認すると、エンジンキーのスイッチを回した。

ブロロロロローン

とエンジンは回らずに、うんとも寸とも言わなかった。

「なんだ?」

隆は、エンジンスイッチを回せば、何かしらはエンジンが音をたてるかと思っていたのに、何も反応しなかったので、拍子抜けした感じで、ルリ子の後ろからエンジンを覗き込んだ。

「バッテリーか?」

「それともセルモーターかな」

ルリ子は、隆に言った。

「とりあえず、一個ずつ解決していくしかないな」

隆が言うと、ルリ子は頷いた。

バッテリーチェッカーをバッテリーに直接つなげると、バッテリーの状態をチェックした。

「バッテリーは問題なさそうですね」

バッテリーチェッカーの針が回って、バッテリーの状態は正常であることがわかった。

ルリ子は、セルモーターもチェックする。

そこから先に順番にエンジンの流れをひとつずつチェックしていく。

エンジンオイルが少し漏れているようだ。

「ここが動いていないよね」

ルリ子は、エンジンのオイルで汚れているところを指さして、隆に言った。

「確かに」

「それでオイルが漏れちゃって、そのオイルがセルモーターにもくっついちゃって、回らないのかもしれない」

ルリ子は、セルモーターの汚れを、持ってきたウエスでふき取った。

「ちょっと掛けてみようか」

隆に言われて、ルリ子が頷き、隆がもう一度エンジンのスイッチを回してみる。

今度は、セルモーターが回り、動く音がした。

「おお、掛かった!」

中野さんは、それを見て大喜びした。

が、決してまだエンジンが掛かったわけではなかった。

オルタネーターの先のところにある部品が壊れてしまっているようだ。

「どうする?そこの交換か?」

隆は、ルリ子に聞いた。

「うん。でも、この部品の替えなんてないよね」

ルリ子は、隆に聞いた。

隆は、中野さんのほうを振り向く。

中野さんは、黙って首を横に振った。

「うちの船になんか無かったか?」

隆は、ルリ子に聞いた。

「あるけど、ラッコのエンジン部品はヤンマーだから」

ルリ子は答えた。

「ヤンマーの部品だとあわないかな?」

隆は、ルリ子に聞いた。

ラッコのエンジンはヤンマー製だった。

マリオネットのエンジンはボルボ製だ。

「わからない」

「どうする?やってみるしかないか」

隆とルリ子は相談している。

「ここに、ずっと海上で浮かんでいるわけにもいかないし、やってみるしかないかな?」

ルリ子が言って、

「わかった。やってみよう!」

隆は、ハッチから顔を出すと、ラッコのデッキにいる洋子を探した。

「あれ、洋子は?」

隆が麻美に聞くと、

「はい」

マリオネットの後部デッキでステアリングを握っている洋子が答えた。

「何、やっているの?」

「え、舵持っていたの」

洋子が答えた。

が、隆は、洋子にでなく、その隣りにいた美幸に声をかけていた。

「美幸ちゃん、ずっと舵を持っていたから、疲れちゃったんだって」

麻美が、美幸の代わりに答えた。

「何、泣いているの?」

「恐かったんだよね、1人で頑張ってたもの」

麻美が隆に言った。

「雪。パイロットハウスの床下に入っている、うちのエンジンの予備部品を取ってくれるかな」

隆は、コクピットに出ると、美幸の側に行って、頭を撫でてあげながら、雪に言った。

「私にわかるかな?」

そう言いながら、雪はキャビンの中に入って、床板を開けてエンジン部品を探す。

ときどき、パイロットハウスの外から茶色い箱に入っているだとか、部品の形を伝える声が聞こえてくる。

「これかな?」

その聞こえてくる声を頼りに聞きながら、一番近い部品を持って、キャビンの外に出てきた。

「それそれ」

美幸のことを抱き寄せている隆が、雪に言った。

雪は、その部品を持ってマリオネットに乗り移り、船内に入った。

雪は、キャビンの中のルリ子に手渡し、ルリ子はなんとか交換できないかと部品を手に持ち苦労していた。

「大丈夫か」

隆は、美幸を隣の船の麻美のところに連れていき、麻美に渡すと、自分は再度、マリオネットの船内に入った。

「直った?」

「うーん、形が合わない」

ルリ子は、必死にエンジンにはめようとしていた。

「あ、でもオルタネーター全部外せたじゃん。さすが、ルリ」

隆は、ばらしてあるエンジンを見て言った。

「これが合わないの」

「ああ、そこ、外しちゃおうか」

ヤンマー製には付いている枠組みが、ボルボ製には付いていなかった。その余計な枠組みのせいで、ボルボのエンジンにはまらなくなっていた。

「そうだね」

ルリ子は、必死で枠組みを外そうとしていた。

「貸してごらん」

隆がルリ子から受け取り、枠組みをドライバーでこじ開けて外してしまった。

「これなら付くかも」

ルリ子は、ボルボのエンジンに今度はうまくはめられた。

「よし、エンジンをかけてみるか」

ルリ子が頷き、隆がエンジンのスイッチを入れた。

ブロロロロローン

今度は、小気味よいエンジン音とともにエンジンが掛かった。

「あ、掛かった!」

船外でエンジンの掛かった音を聞いた皆が叫んでいた。

「とりあえず直ったけど、応急処置だから港に入れたら、修理屋にチェックしてもらわないと」

「了解です」

中野さんは、隆に答えていた。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。