この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。
クルージング教室物語
第72回
斎藤智
「おはよう」
船尾の部屋から起きてきた隆は、パイロットハウスで舵を取っているルリ子に声をかけた。
「ずいぶん、楽した操船をしているじゃない」
普通のヨットならば、寒くてもデッキに出て、そこで舵を取らなければならないのに、ラッコはパイロットハウスが付いているので、船内で操船することもできる。
それを利用して舵を取っているルリ子に言った。
「そうでしょう。佳代ちゃんが考え出したの!ここで操船すれば、暖かく操船できるでしょう!」
ルリ子は、隆に自慢した。
「無精だね」
隆は、苦笑していた。
ラッコのオーナーになる前は、ずっとレース艇のクルーをしていた隆だったので、寒くても、暑くても、いつもコクピットで舵を握っているのが当然だと思っていたのだ。
でも、この船には、せっかくパイロットハウスが付いているのだし、楽にクルージングするのも嫌いではない隆だった。
いや、むしろ、せっかく付いているのだから利用した方が良いだろう。うまくパイロットハウスを利用していた佳代に脱帽だった。
「あれ、麻美は?」
ウォッチ担当のはずの麻美の姿がないので、隆は、きょろきょろと麻美を探した。
「後ろの部屋で寝ているよ」
「え、隆さんと一緒に寝ていたんじゃないの?」
ルリ子と佳代が、一斉に答えた。隆は、自分が寝ていた後ろの部屋のドアを開けて、中を覗いた。
「あ、本当だ。ここで寝ていたのか。布団をかぶって寝ているから、ぜんぜん気づかなかったよ」
隆は言った。
それを聞いて、ほかの二人は笑いだした。
「代わろうか?」
隆は、ウォッチの交代かなって思って、ルリ子に言った。
「ありがとう」
ルリ子は、舵を離して、隆と代わった。
船首の部屋から洋子も起きてきた。
隆と舵を交代したルリ子は、パイロットハウスのサロンに腰かけて、テーブルの上のポテトチップに手を伸ばした。
「お腹空いただろう?麻美のこと、起こして朝ごはん作らせようか」
ポテトチップを食べているルリ子を見て、隆は聞いた。
「大丈夫。麻美さんって、なんか疲れていたみたいだし…」
「っていうか、今朝の朝ごはんは、私が作るよ」
洋子がギャレーの前に立って、言った。
「そうか。洋子って料理できるのか?」
隆に聞かれて、洋子は、無言で苦笑していた。
洋子は、家でも料理は、いつもお母さん任せで、あまりしたことが無かった。
筆島、アゲイン
「美味しいじゃない!」
隆は、パイロットハウスのサロンに座って、洋子の作った朝食を食べながら、言った。
「うん。美味しいよ」
ほかのクルーたちも、洋子の作った朝食を口々に褒めてくれたので、エプロンをしてステアリングを握っていた洋子は、ちょっと満足だった。
「おはよう」
皆よりも、遅く起きてきた麻美が、よく眠って、すっきりした顔で挨拶した。
「あら、洋子ちゃん。エプロンして、操船しているの」
麻美は、いつも自分がギャレーで料理するときに付けているエプロンをしている洋子の姿を見て、聞いた。
「洋子ちゃん、今朝の朝食は、作ったんだよ」
「麻美さんの分も、ここにあるよ」
洋子が答える前に、ルリ子や佳代が、麻美に答えた。
ルリ子が指さしたテーブルの上には、麻美の分の朝食の目玉焼き、ソーセージなどがお皿に盛られていた。
「ありがとう。ちょっと歯を磨いてきてから、いただくね」
麻美は言うと、船首のトイレ、バスルームに歯を磨きに行った。
麻美は、歯を磨いて戻って来ると、サロンに腰かけて、自分の分として用意されていた朝食を食べた。
「美味しいだろう?」
隆は、麻美が食事している姿を、じっと眺めながら聞いた。
「うん、美味しいよ。洋子ちゃん、お料理上手じゃない」
麻美は、洋子のことを褒めた。
「隆は、自分が作ったわけじゃないのに、そんなに心配そうな顔で、食べている私の顔を、確認しないでよ」
麻美は、隆が、じっと心配そうに、自分の食べている姿を覗きこんでいる、その姿が、可笑しいのをこらえながら言った。
「あ、筆島!」
パイロットハウスの窓から外を覗いていた雪が、大島の横に立っている筆島の姿を見つけて、叫んだ。
「おお、もう筆島の見えるところまで来たんだ」
大島の横に立っている筆島の姿を、皆は懐かしそうに眺めていた。
斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。
横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。