クルージング後の入浴

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第43回

斎藤智

クルージングを終えた後の入浴ほど快適なものはない。

「さあ、お風呂に行こうか」

隆が皆に声をかけた。

保田の漁港に入港してから皆は、簡単な軽食を作って、ビールを片手にヨットのキャビンの中で一服していた。

ひととおり一服し終わった後で、隆は後ろのオーナーズルームに行って、自分の入浴セットを取って来た。

ほかの皆も、隆の持ってきたものを参考に自分のバスタオルなどをトートバッグに詰めて、お風呂に行く用意をした。

「ちょっとお風呂に行ってきます」

ラッコのすぐ隣りのポンツーンに舫っていたマリオネットのクルーに一言告げてから船を降りた。

「行ってらしゃい。ちゃんと留守番していますから」

マリオネットのバウデッキで、頭にタオルをかけて寝転がっていたクルーが、頭を少しだけ上げて、ラッコのほうを眠そうな目で見ながら、ラッコの皆を送りだしてくれた。

「どっちに行くの?」

保田の町が初めてのラッコのクルーたちは、隆の後ろからついて行く。

隆は、とりあえず駅のほうに向かおうと思っていた。

保田は、さすが漁港の町だけあって、駅までの道に小さな魚屋さんが何軒かあった。売っている魚は、東京の魚屋さんとは比べようもないくらい新鮮だった。しかも、それが東京の町の魚屋さんよりもはるかに安い価格で売られているのだ。

麻美は、ちょっと足を止めて、お店の中を覗いて行く。

「安いね!魚ってこんなに安いんだ!?」

普段、実家暮らしで料理はおろか買い物も、全て母親任せのルリ子が、麻美の後に続いてお店の中に入って来て、魚の値段に驚いている。

「魚も東京じゃ、こんなに安くないわよ。何匹かここで買って、家に持って帰ろうかしらね」

麻美が、ルリ子に説明した。

「海老とか美味しそうだな」

隆が言った。

「海老、買う?明日の帰りのお昼ごはんは海老チリでも作ろうか」

「いいね!」

隆は、麻美の案に賛成した。

麻美の海老チリは、アメリカのチャイナタウン仕込みで辛過ぎず、甘すぎずで絶妙な味なのだ。

魚屋で購入した魚の入ったレジ袋を片手に皆は、町を眺めながら、ぶらぶら歩いていると、いつの間にか駅に着いてしまった。

小さな田舎町の駅でホームには、老女がたった一人、次はいつ来るかもわからない電車を待って、座っていた。

駅前の広場だというのに、人は誰もいない。

タクシーが一台だけ停まっていて、運転手さんが、のんびりと客待ちしている。

ラッコの皆は、帰りもヨットで帰るので、特に電車に乗って帰るわけではないが、駅舎の中に入って、路線図を確認していた。

「さあ、お風呂に行こうか」

隆が言って、皆は駅舎を出た。

駅の向こう側に小さな旅館、民宿があった。民宿の入り口に「日帰り入浴歓迎」の看板が立っている。皆は、そこを目指して歩いていった。

風呂上がりのビール

隆は、お風呂の中で満足そうにビールを飲んでいた。

ここの民宿のお風呂は、サイズは小さいながらも、男女それぞれに内風呂と外風呂が一つずつ付いている。

ラッコのクルーは皆、女性ばかりなので、男湯は、隆一人で独占できていた。

反対に女湯のほうは、麻美たち皆が、小さな湯船に代わりばんこに浸かっていた。

日帰り入浴のお客さんで希望者には、ビール一杯だけサービスで付けてくれるらしく、隆は、外風呂の脇に置いてあった木製のテーブルとチェアでビールをご馳走になっていた。

「風呂上がりのビールは最高だな」

隆は、満足そうにビールを飲みながら、そう思っていたが、よく考えたら、今は入浴中なので、風呂上がりでなくて、入浴中のビールということになるのかもしれない。

ビールを飲み終えた後、一旦、内風呂のほうに戻り、洗い場でシャンプーに石鹸で体を洗った。ヨットでセイリング中は、セイリングに夢中になっていたので、あまり感じなかったが、体が海の潮でベトベトになっていた。それをボディーシャンプーで洗い落とし、シャワーで流す。ベトベトの体が、すべすべになっていく感じがして爽快だ。

隆が、クルー時代に乗っていたヨットのオーナーが、クルージング時に一緒にお風呂に入ったときに、クルージングに行く一番の楽しみ、醍醐味は、クルージング先で入るお風呂だと話してくれたことがあった。

今、自分の体をシャワーで流したときに、隆の脳裏に、ふとその言葉が蘇ってきて、湯船に浸かってそのことを実感していた。

「そろそろ出るか」

本当は、もう少し湯船の中で浸かっていたかったのだが、ほかのクルーたちが表で自分のことを待っているといけないと思い、風呂から上がった。

脱衣所で服を着て、表に出ると、まだ洋子しかいなかった。

ほかのクルーたちは皆、まだお風呂の中でのんびりしているらしかった。

洋子は、お風呂が嫌いというわけではないのだが、あまり長湯は出来ない体質らしかった。

二人は、表の売店でアイスクリームを買うと、待合室のソファに座って、それを食べながら、皆が出てくるのを待っていた。

「皆、長いね」

「本当に。よくこんな長い時間入っていられるよね。のぼせないのかな?」

洋子は、見た感じは胸のあたりまでストレートの髪を長く伸ばしていて、勉強はできるが、無口でおとなしそうな感じの女の子タイプだったが、話してみるとぜんぜん違っていた。

弟がいて、小さい頃は、いつも弟とばかり遊んでいたので、ちょっと男っぽい口調で、女っぽい物よりも男っぽい物のほうに興味が強かった。

そのせいなのか、ほかの女性クルーたちよりも隆との話もよく合っているのかもしれなかった。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。