ばんやの夕食

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第136回

斎藤智

中野さんは、ヨットのキャビンの中でぐっすり眠ってしまっていた。

ラッコの皆は、午後からマザー牧場に遊びに行ってしまって留守だった。

馬渕さんと二人だけになってしまっていた。

はじめのうちは、キャビンの中で二人で話していたが、そのうち眠くなってきてしまい、それぞれバースで寝てしまったのだった。

昼寝のつもりだったのに、気づいたときは日が暮れてすっかり夜になってしまっていた。

「ただいま、すみません。遅くなりました」

麻美たちが、マザー牧場から保田の漁港に戻って来たのは、午後6時、日も暮れてしまっていた。

麻美が、マリオネットのキャビンの中を覗き込むと、中は真っ暗だった。

「誰もいないよ。もう、ばんやの方に先に行ってしまったのかな」

麻美は、顔を上げて、隣りのヨットの隆に声をかけた。

「あ、お帰りなさい」

マリオネットのキャビンのライトが点いて、キャビンの奥から中野さんが出てきた。

「ただいま。キャビンが真っ暗だったから、誰もいらしゃらないかと思っていたわ」

「ちょっと昼寝のつもりが、いつの間にか寝てしまっていたよ」

中野さんの後ろから出てきた馬渕さんも眠そうな顔していた。

「起きたばかりで、まだ食べられないかしらね」

「いや、そんなことないです」

皆は、ヨットを降りて、漁港の目の前にあるレストラン「ばんや」に向かった。

ばんやは、保田の漁港直営のレストランだった。

漁船で獲れた魚を目の前で調理してくれる。

「いらしゃいませ!」

店内に入ると、中央に大きな魚用の生簀が置いてある。

中ではいろいろな魚が泳いでいる。注文が入ると、店員さんが生簀から網で魚をすくって調理してくれる。

「かわいそう。食べられちゃう」

佳代が麻美に言った。

「でも、佳代ちゃんの前にお料理になって運ばれてきたら、食べてしまうでしょう」

「うん」

麻美に言われて、佳代は頷いた。

「相変わらず、ここのレストランは混んでいるね」

隆は、席に座りながら言った。

ばんやは、ヨットやボートで来た人たちだけでなく、車や電車でもたくさんの人が東京、千葉から訪れるので、いつも混んでいる。

「かんぱーい!」

隆たちは、まずはビールで乾杯してから食事になった。

マザー牧場の草原でいっぱい走り回ったので皆、お腹が空いていた。

「大きくて美味しそうね」

店員さんが運んできた大きな舟盛りの刺身を、麻美は、皆に装いながら言った。

「フライが来たよ」

隆の注文した魚のフライがやって来た。

揚げたてですごく美味しそうだ。

「ルリ。タコを食べようか?」

「うん」

「じゃ、どのタコにするか決めに行こう」

隆とルリ子は、中央の生簀に行って、生簀の中のタコを選び始めた。

「佳代ちゃんも一緒に行ってきたら…」

佳代は、麻美に言われたけど、生きているタコを見てしまうと、かわいそうで食べられなくなるので、麻美の側に残っていた。

強い北の風

昨日の夜は、クルージング時にはめずらしく早寝だった。

ばんやでの食事を終えて、ヨットのキャビンに戻ると、しばらくはテレビなどを見て過ごしていた。

昼間、さんざんキャビンの中で昼寝をしたマリオネットのクルーは、元気いっぱいだった。

パイロットハウスの上部サロンで、お酒を飲んで談笑していた。

昼間、セイリングの後、マザー牧場まで行って遊んで来た連中は、さすがに疲れてしまったのか、ギャレー前の下部サロンでテレビを見ながら、言葉少なげに過ごしていた。

「眠くなってきちゃった…」

ルリ子がポツリと言った言葉をきっかけに、下部サロンの皆は、早々に眠りについた。

下部サロンのテーブルを下ろして、その上にクッションを置くと、サロンはダブルバースに変わった。

そこで、いつも通りにルリ子と洋子が並んで眠った。

「おやすみ」

隆と佳代は、船尾のオーナーズルームに移動すると、そこで眠った。

いつも船尾の部屋で一緒に寝ているもう一人、麻美と船首で寝ている雪の二人は、パイロットハウスのサロンで、マリオネットのメンバーにつきあってまだお酒を飲んでいた。

「おはよう!」

昨日は、早寝だったので、6時には既に目を覚ましてしまった隆は、デッキに出て、そこで歯を磨いていた。

洋子が起きてきて、彼女も、隆の横に来て歯を磨き始めた。

「おはよう!」

いつも明るく元気なルリ子が、大きな声で起きてきた。

ルリ子の大きな元気な声に、それまで静かに話していた隆と洋子は、見つめあって、思わず笑い出してしまった。

いつものクルージングだと、麻美と一緒に起きてくる佳代が、一人だけで起きてきた。

「あれ、今朝は一人だけで起きてきたの?」

「うん。麻美ちゃんは、まだ寝ている」

洋子に聞かれて、佳代は答えた。

「たぶん、昨晩も、中野さんたちと一緒に、かなり遅くまで飲んでいたんじゃないの」

隆が洋子に言った。

「麻美と雪は、飲んべえだから」

「雪ちゃんは、けっこう飲んべえだけど、麻美ちゃんって、皆のお酒とお料理を用意しているだけで、あんまり飲んでいないじゃん」

ルリ子が隆に言った。

「うん。今日の帰りは大変だぞ」

「え、風、すごく吹いているの?」

隆に言われて、ルリ子たちは、デッキで背伸びして、港の外、海のほうを眺めた。

港を出てすぐのところは、そうでもないが、もっと沖の方は、かなりの白波が立っていた。

「ここから見ているとウサギたちが遊んでいて可愛く見えるけどね」

海の波が荒れてきて、白波が立ってきたことを、ヨットでは、ウサギと呼んでいる。白波が立つ姿が、まるで白いウサギが飛び跳ねているように見えるからだ。

「でも、あのウサギたちの中に入ったら、ヨットは大変だぞ」

皆は、今日の横浜マリーナへの帰りの行程を想像して緊張していた。

「しっかり食べておかないといけないから、朝ごはん作ろうか」

洋子が言った。

ルリ子たちと一緒に、朝食の準備のために、ギャレーに移動しようとしていた洋子に隆が声をかけた。

「朝ごはんだけど、作るのちょっとさぼってさ、ばんやにモーニング食べに行かないか?」

昨晩、ばんやに行ったとき、店内にモーニング始めましたという看板が書いてあったのを思い出したのだった。

「たまには、それも良いかもね」

朝ごはんは、自分たちで料理するのはやめて、ばんやに食べに行くことになった。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。