暁の体験セイリング

この度、横浜マリーナ会員の斎藤智さんが本誌「セーラーズブルー」にてヨットを題材にした小説を連載することとなりました。

クルージング教室物語

第179回

斎藤智

雪は、朝早くに目が覚めてしまっていた。

昨夜は、ヨットでのお泊りとしては、けっこう早めに眠ってしまったせいだろう。

雪が、いつもヨットで泊まる時は、大概ほかのヨットの人たち、多くはマリオネットだが大勢ラッコに遊びに来ていて、その人たちと一緒に夜遅くまでお酒を飲んでいる。

昨日は、横浜マリーナに停めているヨットの中で、お泊まりをしていたヨットは、ラッコだけだった。

そのおかげで、ほかのヨットの人が遊びに来ることもなく、雪も、お酒は控えめに、ほかのラッコのメンバーたちと同じ時間に眠りについていたのだ。

雪は、フォアバースで目を覚ましてから、体をのばして伸びをした。

雪は、細身で長身だ。

フォアバースのサイズは、雪には、少し小さいようだった。

雪は、隣で寝ている香織を見た。

香織は、まだぐっすり眠っていた。

雪は、香織を起こさないように、そっと起き上ると、ギャレーのほうに移動した。

「トイレに行ってこよう」

歯磨きセットを手に持って、雪はヨットを降りて、横浜マリーナのクラブハウス脇にあるトイレに向かった。

「おはよう!」

雪が、トイレで用を済ませて、歯を磨いて出てくると声をかけられた。

「おはようございます」

「ずいぶん早いじゃない。今日は」

暁の望月さんだった。

「望月さんもお早いですね」

「私は、いつも朝は、このぐらいには横浜マリーナに来ているよ」

「そうなんですか。レースの準備とかしているんですか?」

「まあ、レースの準備、船のチェックで…というのは、建て前で本当は特になにもしているわけではないんだけどね。なんとなく朝早くにやって来て、クルーたちが来るまでの間、のんびりヨットの上でしているのが楽しくてね」

「ああ、わかる気がします」

雪は言った。

「私は、昨日からここに泊まっているんです」

「ああ、そうなの」

「私だけじゃないけど、ラッコのメンバー皆、船で泊ったんです。まだ皆はキャビンの中で寝ていますけど」

「そうなんだ。時間があったら、うちのヨットに遊びに来ませんか?コーヒーぐらい出しますよ」

雪は、望月さんの後ろについて、暁のところに行った。

暁の入っている艇庫の入り口の扉は、大きく開かれていて、暁の艇体がぜんぶ見えていた。

艇体にかけられた脚立を上って、デッキの上にあがりこんだ。

「コーヒーはブラック、それとも…」

「あ、私は砂糖と少しだけクリームで」

雪は、自分がコーヒーを入れようとキャビンの中に入った。

ラッコのキャビンに比べたら、レース艇の暁の船内は、がらんどうで何も無かった。これのどこでコーヒーを淹れるのかわからなかった。

パイプを折り曲げただけのハンモックのようなベッドが両サイドの壁にあった。

その真ん中あたりのテーブルの上に、小さなカセットコンロが置かれていて、その上にポットがあった。

望月さんは、ポットのお湯を沸かして、コーヒーを淹れてくれた。

「インスタントだけどね」

「インスタントコーヒーって、けっこう美味しいですよ」

雪は答えた。

「ラッコさんのヨットじゃ、インスタントのコーヒーなんか出ないでしょう」

「そんなことないですよ。インスタントのコーヒーも棚に入っているし…。でも、いつもは麻美ちゃんが、ちゃんとしたのを淹れてくれているみたいだけど…」

雪は、望月さんからコーヒーのカップを受け取ると、デッキに出て、そこで飲んだ。

「おいしい!」

「ね。インスタントでも、ヨットの上で飲むコーヒーは一味違うよな」

望月さんも、デッキに出てきてコーヒーを飲みながら言った。

二人は、横浜マリーナの朝のひと時を、デッキでコーヒーを飲みながら過ごしていた。

2艇でセイリング

隆が脚立を上がってやって来た。

「おはよう」

「もう起きていたんだ」

雪と望月さんがデッキでコーヒーを飲んでいるところに、隆も加わった。

「昨晩はヨットに泊ったんですって?」

「ええ、まだ他の皆は眠っていますよ」

隆は、望月さんに答えた。

「昨日は、ずっと横浜マリーナに来ていながら、ヨットも出さずに、ショッピングスクエアで買い物でしたよ」

「ああ、隆君のところは、女の子のクルーが多いからね」

望月さんは、隆の分のコーヒーを淹れながら言った。

「それじゃ、隆君は、一日じゅう荷物持ちだ」

「いや、荷物は皆、それぞれで持ってますよ」

「あは、そうか。私なんか、妻や娘と買い物行くと、たえず荷物持ちで持たされているよ」

望月さんは苦笑した。

「でも、可愛いんじゃないですか。娘さん」

「そうね。小さい頃は可愛かったんだけど、最近は父親なんて無視されてばかりで…」

「でも、可愛いだろうな。俺も娘欲しいですよ。その前に嫁さんかな」

隆は言った。

「嫁さんは大丈夫だから、娘だけじゃないの」

雪が隆に言った。

「大丈夫って?」

隆がとぼけていたので、

「何よ。わかっているくせに」

雪は、にやにやしながら隆の腕を突っついた。

「でも、気持ちいいな。朝のマリーナのデッキ上で飲むコーヒーは」

隆は、さっき雪と望月さんが言っていたことと同じことを言っていた。

「さあ、そろそろ行こうか」

暁のほかのクルーの人たちも、横浜マリーナにやって来て、暁の出航準備を始めたので、隆は雪に言った。

雪は、隆に言われて、暁のクルーが艤装しているところを名残惜しそうに見ながら、隆と一緒に暁を降りた。

「今日、どこに行きますか?」

ラッコに戻る隆たちに、望月さんは声をかけた。

「まだ決まっていませんが、どこかそこらへんを周って来るだけです」

「うちも、港を出たところでレースの練習セイリングしているだけですから、一緒に走りましょう」

隆は、望月さんと横浜マリーナの沖合いで一緒にセイリングする約束をして別れた。

「雪。暁に乗ってみたいんじゃないの?」

「ええ、なんかレース艇というのも面白そうじゃない」

雪は答えた。

「今度、望月さんに聞いて、一緒に暁に乗せてもらおうか」

隆が言った。

「うん。今度、乗せてもらおう」

雪も、暁のセイリングに興味津津に答えた。

斎藤智さんの小説「クルージング教室物語」はいかがでしたか。

横浜マリーナでは、斎藤智さんの小説に出てくるような「大人のためのクルージングヨット教室」を開催しています。